1334428537**[観光]シュノンソー

アンボワーズからロワール河を渡り30分ほどでシュノンソーに着く。
ここは国王(アンリ2世)が愛妾(ディアーヌ・ド・ポワテイエ)に与えた城として有名だ。
ロワールの数ある城の中でも一番美しいとも言われている









彼女は12年間(1547〜1559)ここに住み、シェール川をまたぐ増築をし、いかにも女性的な柔らかさを感じさせる城というか城館を作った。

王妃の礼拝堂。フランス革命の際、当時の城主であったデュパン夫人の機転で、この礼拝堂は薪の貯蔵庫として使われ、破壊から逃れた。

マダム・デュパンはこの城にモンテスキュールソー、ヴォルテール
などの啓蒙思想の知識人たちを招いていた。

ディアーヌ・ド・ポワティエの部屋

アンリ2世が事故で死ぬと王妃カトリーヌ・ド・メディシスはディアーヌを追い出し、
摂政としてこの城に住んだ。彼女はこのギャラリーの完成した1577年、息子で
後のアンリ三世を招いて大舞踏会をここで催した。
第二次大戦時、この床下に流れるシェール川がドイツの占領地区の境界だった。
城と庭園は占領地だが、このギャラリーの反対側は川を超えて非占領地につながっている。レジスタンス達はここを通って活動していたそうです。なおドイツ軍はいつでも
この城を破壊できるよう構えていたとのことでもあります。

カトリーヌ・ド・メディシスの部屋

五人の王妃の居間。5人とはカトリーヌの二人の娘(アンリ四世の妃とスペイン王
フェリペ二世の妃)と三人の義理の娘(フランソワ二世の妃、シャルル二世の妃、
アンリ三世の妃)だそうです。

ということで王妃や妾や啓蒙夫人やらがそれぞれの時代に過ごした城でした。
そうした女性らに男たちが頭を下げてばかりいたこの城は、あまり好きになれない
タイプの城ではある。(いの)

ディアーヌがこの城をアンリ2世からプレゼントされたのは48歳の時、王の死によって
城を追い出されたのが60歳の時、その間、最高権力者の寵愛を受けていたのだからいくら美女とはいえスゴイことだ。フランス男性は年配の女性にやさしい。
「マダーム」と呼ばれる。「ババア」と呼ばれる日本とはえらい違いである。(とら)

Chateau de Chenonceau