さよなら ダンフェルロシュロー

3年前、1年間のパリ滞在中のアパートはダンフェルロシュロー駅から歩いて7分、ねずみ山公園と駅との中間地点にあった。
今回もこのアパートを借りたいと思ったが、持ち主と連絡つかず断念。
日本人向けに「暮らすように観光するパリ」的に宣伝しているアパート物件を幾つも調べたが適当なところがなく、結局ブッキングドットコムで選んだのは、オーナーはフランス人だが土地に親しみのある、この界隈となった。
以前住んでいた地域なので、なじみの店もあり、懐かしくもあり、ちょっとしたセンチメンタルジャニーか。

メトロ駅 ダンフェルロシュロー

この地名の発音はけっこう難しく、フランス人家庭教師に習い、何度も練習したものだった。

今回のアパートのあるこの通りの名前は最後まで発音できず、タクシーに乗っても右に行け、その先を左、とかと言ってしのいできた。

駅を降りるといつも行列の観光名所、カタコンベ
ここがどうしてこんなに人気なのかは日本人の感覚では理解できない。

オペラ方面に行くとき利用する68番のバス。
市内を縦横に走っており、地図をにらみながら上手に乗り継ぐとパリ観光として安くてお勧め。

おなじみねずみ山公園。いのは運動不足解消によく通っていた。

食料品店と飲食店が両側に並ぶダゲール街。

ダンフェルロシュロー広場の象徴、ライオン像。


またこの駅に降り立つ日はあるのだろうか? (とら)

パリの新コンサートホール

フィルハーモニー・ド・パリは、ベルリンのフィルハーモニー・ホールに
負けじとフランスがパリ管弦楽団の本拠地として建設し、予定から大幅に遅れて今年1月に
やっとオープンしたばかりの最新のコンサートホールだ。
パリ滞在中に一度は行ってみたいと思っていたところ、パリ菅ではないが、ルツェルン祝祭管弦楽団をバックにアルゲリッチがピアノを弾くという演奏会が帰国前日に
あると知ってさっそくネットで予約した。
ネット予約の場合、チケットは自分でプリントするのが普通だが、ここは郵送か窓口での引き換えしかない。
新築の建物を見学したいし、場所の事前リサーチもできるし、と会場まで引き取りに行くことにした。
会場のあるポルト・ド・パンタン駅はパリ北東部のはずれに位置し、地下鉄5号線の南の始発駅から北の終着駅近くまでパリを縦断し会場へ向かった。


巨大な建物である。
ベルリンもすごかったが、パリも建物の高さでは負けていない。修理している赤いクレーンと比較してね。

この一日限りのイベントは「クラウディオ・アバドへのオマージュ」というチャリティコンサートでパリのキュリー研究所主催。
アバドは去年80歳で胃ガンのため亡くなったが、ガンが発見されてから
手術を受け10年以上も音楽活動を続けながらガンと戦ってきた。
とらはアバド追悼といえば同郷の盟友ポリーニでしょう(ふたりはイタリア出身)、なぜアルゲリッチが出しゃばってくるの?と思ったが、アルゲリッチアバドとは共演もレコーディングもしていた。
パンフレットにあった昔の写真。

ふたりとも若い。美男美女である。なにかあっても不思議じゃない。
おそらくこれは今回の演奏曲プロコフィエフの協奏曲第3番を1967年に収録した時の写真と思われる。
アバド33歳、アルゲリッチ26歳
それから50年近く、クラッシク音楽界のトップを走り続けてきたふたり、
アルゲリッチにも充分アバドを追悼する資格があると思った。
(でも、ポリーニだったらもっと良かったのに...)
ライトアップされたコンサートホール

エスカレータを5階分ぐらい一気に上って、ホールの入り口に着く。
ホールは客席がステージを囲むようヴィンヤード形式。
座席数は2400、舞台と観客席が近く一体感が高まる作りになっている。
ベルリンフィルがこのヴィンヤード形式の嚆矢でサントリーホールもこの形式。
しかしこのパリのホールはどこか違う。
舞台正面から

左側

右側

対称感覚を大切にする几帳面な日本人としては信じられないことに、
観客席は左右対称ではない。
左に突き出ているバルコニーが右側にはない。

最初の演奏曲プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。オーケストラは
アバドが集めたルツェルン祝祭管弦楽団、指揮はアンドリス・ネルソンス
チケット代は一等席140ユーロに、チャリティとしてキュリー研究所への寄付が60ユーロ、合計200ユーロ。パリの音楽会の標準からすると高い。

そういえばアルゲリッチともワルシャワで同じ空気を吸ってたな……

ピアノは力強く素晴らしい演奏だった。

オーケストラと調和していて、協奏曲の醍醐味を味わった。いろいろ言動には問題のある人だが、演奏はさすがだ。万雷の拍手とブラボーの声に答えてのアンコール、20世紀の音楽に暗いとらには曲名は不明。

ここで休憩。

ホワイエは天井が低く狭苦しい。ぐるりと回ってみたが、シャルル・ド・ゴール空港の通り道みたい。バーも一階につき2か所しかない。休憩時間にゆっくりと過ごすというフランス人はこれでいいのか。

ガン撲滅のこの日のために造られたオマージュが飾られていた。

後半はピアノなし、オーケストラのみでマーラー交響曲第5番。

ネルソンズは協奏曲の時はおとなしかったが、マーラーでは爆発。
飛び上がったり、派手な指揮ぶりである。初代常任指揮者、静かなアバドと比べると違和感を感じるが、マーラーだとこれくらいでいいのか。 
あまり好みの選曲ではないが、その迫力は音響のすばらしいコンサートホールで十二分に生かされていた。


終了は11時過ぎ、拍手もそこそこに予約していた会場
真向かいのステーキレストランに向かう。
夜の11時15分、レストランはガラアキ。

しかしこの後続々とコンサート帰りの人々が入店。
12時までの営業らしいが、全部処理しきれるとは到底思えないが……
地下鉄の最終は12時40分とのことだが、なるべく早く終えたいので、
名物ティーボーンステーキ500gの一品勝負。

ポテトとグリーンサラダも自動的に付いてくる。

ソムリエに推薦してもらった赤ワインも頼む。これで合計71ユーロ。
フランスのレストランとしては信じられないほど早く出てくる。12時前に食事を終了。

地下鉄もがらんどう。

駅の名前の横に音符が

北駅で乗換、アパートに着いたのは12時45分。

数日前に聞いたサル・ガヴォーでのコンサートとは新旧の対比がおもしろかった。
ガヴォーは座席数1000、フィルハーモニーは2400。
ピアニストは、今年2015年のショパンコンクール優勝者対1965年の優勝者。
アルゲリッチ優勝からチョ・ソンジン優勝まではちょうど50年。
50年後チョがどのようなピアニストになるか見届けることはできないが、ポリーニのようにストイックな人生を送るか、アルゲリッチのように自由奔放に生きるのか、どちらにしろ、気力と体力が続くことを祈りたい。

ところで、昨日パリで事件があった。いのとら日記はあたかも我々がまだパリにいるかのように書いているが、実はすでに帰国済。
国境封鎖の60時間前にパリを離陸、間一髪といえるかも。犠牲者の方々に冥福を祈る一方、我々は無事ですのでご安心ください。(とら)

チーズとワイン

日本と比較して、フランスに潤沢にあり、しかも安価で我々の好きなものはたくさん
あるが、なんていったって一番はチーズとワイン。
これらをなんとか日本に持ち帰ろうとリサーチした。

まずワイン。
3年前に48本をクロネコヤマトの航空便ワインダイレクトサービスで運んだことが
あり、同じことがフランスに住所がなくてもできるかチェックにパリオフィスを訪ねた。
蔵元から直接ヤマトパリに送ってもらい、それを東京の自宅に送ってくれるということを確認、運賃は事前にパリで支払い、税金は日本で着払いというシステムでOK。

次は蔵元へ連絡、これがけっこう大変である。
ホームページのある蔵元は多い。しかし当然と言えば当然だが、全てフランス語で
書かれているのが大半。
たまに英語があっても肝心の注文のページはオール・フレンチ、途中まで記入できても最後まで行き着かない。
そこで、また前回同様パリ在住の大学の後輩イーさんに助けを求めた。
アパートに来てもらって一緒にパソコンを操作、トゥールーズにある一軒はネット注文でカード決済までいった。
アルザスのワイナリーとは電話で連絡がとれ、英語メールでやりとり開始。
ロワールの蔵元とは電話で連絡すると、直接注文でもいいがパリでも買える店が
あると紹介された。
その酒屋はなんと14区、ダンフェルロシュロー駅から歩いて5分のところにあった。
もちろんここまでの話は電話での情報、つまりフランス語でということ、イーさんの
助けなしには不可能だった。

灯台もと暗し、さっそくワインショップに出掛けた。

が、閉まっていた。営業時間をチェックすると

午前中2時間半、午後は4時間、それも4日間だけ。
後は半休が2日、全休が1日。
やたら閉まっている時間が多い店である。


翌朝開店の10時半を見計らって再訪、30代後半と思われる男性が店主、ワンマンショップであった。
幸いなことに彼は英語が話せる。まとめて買ったらオペラ界隈のヤマトまで配達してくれるか聞くと、自分の車で運ぶとのこと。
お目当てのソービニオンの白ワインはもちろん注文したが、ついでに味見用にいくつか赤ワインを選んでもらい、購入してアパートで試飲。
シノンの赤ワインがおいしく、結局この店でいろいろ合計24本購入、その日の内にヤマトまで運んでくれた。
真面目で仕事が早い店主を気に入り、今後は東京から時々直接注文する手はずを整えた。

次はチーズ。

京都へ戻っていったアイさんが発見した店は
めずらしく塩味の薄いチーズを扱っている。




英語も通じる。

これも最初いくつか買って味見、日本のチーズネットショップのホームページで各種チーズの特徴と大きさ等を勉強して購入リストを作成。
日本ではなかなかおいしいものがない山羊のチーズを3種類、セミハードタイプ4種、旬を迎えようとしているモンドールなど合計9種類を購入
すべて真空パックしてもらった。これで100ユーロしないのだから安い!
トランクに余裕があればもっと買いたかった。

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行きは佃煮や柚子胡椒が入っていたクーラーバッグ。帰りはチーズで一杯になった。(とら)

犬も歩けば.....

イノも歩けば...棒にあたる。   見聞したもの、パリ拾遺集にしてみました;

犬の糞を避けて歩いていた3年前と比べるとパリの街散歩は快適になった。
もちろん皆無になった訳ではないが大幅に減ったことは間違いない。
この看板は「アイ ラブ マイ カルチェ(地域、界隈) 私は 拾います」の意。

そう言えば10月からタバコのポイ捨て禁止条例が施行されたそうだ。

秋の日曜日はあちこちで青空市が立つ。

ラクタにしか見えない物になぜ皆真剣になれるのか?分からない。

こちらは10ユーロの入場料を取るバスティーユ広場の骨董市。

カネがもったいないのでテントのすき間から覗くと、やっぱりガラクタばかりだ。

バスティーユの別の通りではクリエーションと称する青空市。

実態はどうしようもない絵や写真が並んでいた。
まあ、ヒマな日曜の昼下がり、ぶらぶら散歩には最適かも。

いつもカフェでは芸がないので

スタバに入り、カフェラテを注文したら
名前を聞かれた。理由が分からず戸惑いながらも
イラノ(仏語ではHは発音しない)と答えた。


待つこと暫し、キラノと呼ばれた。カップに名前を書かれて渡されたのは初めてだ。

トイレはロックされていて暗証番号を入力しないと開かない仕組みだった。
カウンターでピンコードを教えろ、と聞くと領収書の上の右に印字してある
番号 (13128) だとのこと。ワルシャワのスタバより進んでいる!
飲み物を頼まずトイレのみ使用する輩を防ぐ手立てのようだ。
毎日変えるのだろうか?

ご参考までにマクドナルドの

ビッグマック3点セットは4.95ユーロ。
ちなみに日本だと670円。
購買力平価で見ると、1ユーロ=135円となり現在の
為替レートとピッタリ一致、感心した。


幼稚園児たちの昼食風景を見た。
驚いたことに、10人中8人までがポテトチップの袋を開けて食べていた。
フランスの味覚の将来は暗そうだ。

メトロでJALの広告を見た。凱旋門が雷門となっているのは面白いが

いまだに、桜に芸者、とは企業のセンスを疑う。

最後に。
ひとりでぶらぶら歩いていて久しぶりにラーメン屋に行こうと思いたった。
日本人が集まるオペラのラーメン通りで一番の歴史を誇るのはヒグマ。
30年前は唯一のラーメン店。だいぶ世話になったものだった。
昼時の混雑のせいか、誰も注文を取りに来ない。店員は中国人。
頭に来て店を出た。サービス最低。

その対面に位置するサッポロラーメンに入る。店内は比較的きれいで
サービスも早い。が、旨くない。

どうせラーメンを食べるなら、お勧めはピラミッドの老舗中華料理店・福禄寿。

香港系の汁麺だがチャーシューたっぷり。これをつまみにビールが飲めるくらいだ。

さあ、日本に戻ったら、まずラーメンを食べに行こう。(いの)

枯葉


パリの枯葉を見て、シャンソン「枯葉」もショパンの葬送行進曲付きソナタの最終楽章「新しい墓にまき散らされる枯葉」のイメージも,日本の落ち葉とは全く違うということを実感した。
日本のようにハラハラとは散らない。バサバサと落下してくる。
湿った土に混ざった濡れ落ち葉ではなく、石畳の上の落葉は乾燥した空気の中で
カサカサになり、いかにも死んでしまった葉。
可愛らしいとか可憐さとは無縁で、男の手のように大きく、かさばっており、風に吹かれて舞い上がると迫力がある。

道路も

公園も枯葉がいっぱい。
下手に踏むとつるっと滑ってしまうので、注意して出来るだけ避けて歩く。

お掃除も竹ぼうきや熊手でチンタラ掃いていたら日が暮れてしまう。
こちらでは大型掃除機みたいなノズルからのエアの噴射の風圧で路上の隅に
追いまとめていく。

ゴミ袋などに入れていたら袋は幾つあっても足らない。
どっとトラックの荷台に集めて持っていく。

みんなどれも枯れ木になりはてるのに、葉は落ちても実が枝に残る柿は当地では
珍しいようだ。(とら)

ピカソ美術館

3年前パリに住んでいた頃、ピカソ美術館は数年に渡る大改修中でついに訪れる
機会がなかった。
そんな訳で、パリに行ったらまずピカ美に行こう、と二人で言っていたのに、帰国まであと1週間を切った今日やっと実現した。
そんなに忙しかったハズもないのに今まで一体何をしていたんだろう?
しかも何故かトラとは行く日の折り合いがつかず、結局ここへは一人での来訪
となった。

改修前の入館料は7.5ユーロだったのに今や12.5ユーロ。
ルーブルやオルセー並の大美術館となった。

確かに地上4階地下1階と大きい。

12ユーロと20セント硬貨3枚を
出すと10セントのお釣りがないと言う。国立なのに信じられない!
お釣りはフランスに喜捨となった。

ピカソ!一周年記念展覧会」と銘打ったポスター。  
あまりに多くの作品展示なので以下はかなり偏った紹介となります。

入館してすぐの所にあった、いかにもピカソらしい
「女の頭部」 1955年 

「雄牛」 1946年

前年1945年からのデッサンも一挙展示。
どんどん捨象していく過程が分かって面白い。



「膝をかかえるジャクリーヌ」 1954  手塚治虫を連想させる。

これらのタッチはマンガに通じるものがある。


「椅子に座るオルガ」  1918年  最初の妻。素直な画風。

オルガのポートレート 1910年 

 実物の写真です。




スペイン内戦時の空爆を描いた大作「ゲルニカ」と同時代の、
「哀願する女」  1937年  

「泣く女」 1937年

「朝鮮の虐殺」 1951年  
この頃ピカソはすでに共産党に入っていた。
したがってここで非難している銃殺軍はアメリカだろう。


「山羊」  1950年   
籐籠とセラミックの壺などを組み合わせて創出。

こちらは油彩。



「女の胸像」 1937年  ブロンズや作陶も多く手掛けている。


「カンヌ湾」  1958年   
カンヌの特徴が凝縮されいるのがよく分かる。

抽象とは対象のコアへ一直線に迫り、そのエッセンスを余すことなく描きだす作業だと実感し、ピカソの偉大さにたっぷり浸りました。(いの)

旬の生ガキ

秋は生ガキがおいしくなってくる季節だ。
末尾にアールの着く月からといわれている生ガキだが、9月はまだまだで、本当の旬は12月から1月。しかし10月終わりから11月でもそこそこおいしくなっているはず、パリでははずせない名物だ。

前回の経験で、生カキしかない専門店よりも、値段の高いドームやカフェ・ド・ラペのような有名カフェよりも、費用対効果が良かったオデオンとリヨン駅前のカフェに
行った。

まずオペラ座での観劇のあとリヨン駅前のカフェ・ルロペアンへ。
演奏会の終了は10時半は廻るので、深夜1時過ぎまでやっている年中無休の
このカフェは重宝だ。

内装に変更ナシ、アールヌーボー風のパリらしいインテリアである。

これも前回からの経験で単価は高くてもサイズの大きなものを頼んだ方がおいしい。
スペシャル、ブロンなどのサイズNr2を半ダースづつ頼む。

スペシャル・ブルターニュ

スペシャル・ノルマンディ

ブロン

オデオンのアトラスにはアイさんが京都に帰る前日プチ・送別会に行った。
相変わらず混んでおり、賑やかだ。少し静かな2階席に通してもらう。

スペシャルのNr2を頼もうとするが、もう今日は売り切れとのことでNr3になる。
しかしフレッシュで十分おいしい。



定番のカキのあとはオニオングラタンスープ

冷たい生カキの後、熱々のスープを頼めるから庶民的な
カフェの生ガキはいい。
オニオングラタンを労働者階級の食べ物とした老舗高級
レストランや専門店ではスープを出さないところが多い。

パリを離れる日も近くなった頃、最後にもう一度生ガキをと昼間のリヨン駅に向かう。

リヨン駅は大きな駅だが、正面玄関を出るとカフェ・ルロペアンはすぐ見えるので、
方向音痴のとらでも待ち合わせができる。

またスペシャルとブロンのNr2を半ダースづつ。

付合せのフレンチポテト

これらを前菜にして、
とらのメインはオニオングラタンスープ、順当だ。

なんといののメインはタルタルステーキ

滞在中一度は食べたかったとか。念願が叶い大満足。
味付けが絶妙、マグロのタタキみたいで大変おいしかったそうです。(とら)

Brasserie L Europeen
2 rue de Lyon 75012
電話 01-43-43-99-70

L'Atlas
11 rue de Buci, 75006
電話 01 40 51 26 30