サン・ドニ:王たちの墓

シャノワールさんの推薦もあり、晴れた日サン・ドニに行った。
殉教者サン・ドニが首を切られた後、その自分の首を持ってここまで歩いてきたという
いささか猟奇的な伝説と、歴代のフランス国王の墓があることで有名である。
噂によるとひったくりなどでパリではちょっと危険な地域と言われているらしいが、サン・ドニに向かう地下鉄13号線は新しく車両はきれいだ。
今は大聖堂(Cathedral)と言われているが、1966年以前はバジリカ(巡礼地となった教会)だった。カトリック教会にも序列があり、普通の教会の上が、バジリカであり、
一番偉いのが大聖堂ということか。日本でいえば神社と神宮、大神宮の関係(!?)

← 祭壇とバラ窓
この祭壇で42人の王と32人の王妃、
63人の王太子と王女が祭られたのか。



歴代の王や王妃のステンドグラス。

聖堂内は無料だが、王家の廟は有料である。
地下の納骨堂。

ブルボン朝の始祖アンリ4世の墓。

ブルボン家の地下納骨堂。
フランス革命後の王政復古の時にルイ18世(ルイ16世弟)がパリの墓地から移させたという処刑されたルイ16世と王妃マリ・アントワネットの遺骸が祭られている。
ルイ18世自身もここに葬られている。彼はサン・ドニに埋葬された最後のフランス王。

ルイ16世とアントワネットの墓の説明。二人がギロチンで死んだ年は同じ。
図は上記6体の棺の位置を示している。

礼拝堂にあるルイ16世夫妻の祈りの像。
ふたりの遺骸が移送されたときルイ18世の注文により作成された。

カぺー王朝以前の王たちの墓もあるが、一貫して王たちがこの聖堂に埋葬されるようになったのはユング・カペー(987〜996)から。その後、王位は分家のヴァロア家
ブルボン家と引き継がれたが、ルイ16世が革命政府の裁判の時呼ばれた名は「ルイ・カペー」マリ・アントワネットは「マダム・カペー」だった。天皇家は世界史上もっとも長く続いている王家だが、このように集合的な墓所はない。ルイ、フィリップ、アンリ……色々な王がいた。戦死した王、暗殺された王、病死した王、槍の試合で負傷して死んだ王、柱に頭を打ち付けて死んだ王、王妃に毒殺されたと噂された王、火あぶりにしたテンプル騎士団の僧の呪いで死んだといわれる王、そしてギロチンで処刑された王、
ドラマティックである。天皇たちはこの王家の人々に比べれば比較的平和な治世を送ってきたと言えるのではないか。
一堂に会した王たちの墓を見て、その治世とそれぞれの死を思うとフランス歴史が
流れ込んでくるような気がした。(とら)

Basilique cathedrale de Saint-Denis
1 rue de la Legion d'honneur, 93200 Saint-Denis