ダイアナ妃15回忌

ダイアナ妃とは縁がある、とは言っても個人的にでは勿論ない。

いのがロンドンにいた1981年、彼女はチャールズ皇太子と婚約した。
レディ・ダイアナと呼ぶ方が私には馴染がある。
時の新聞は「イングリッシュ・ローズの大輪が咲いた」と大きく報じた。
彼女が結婚したのは同年7月29日。
ちなみに私の誕生日は7月28日である。(あまり関係ないか)

2度目の駐在でドイツにいた夏の終わりの晴天の早朝、ゴルフ場前で友人の来るのを待っていた時、カーラジオが突然「今入ったニュース、ダイアナ妃がパリで交通事故に会った模様。生死不明」と興奮して報じていた。
彼女の婚約から結婚そして死亡の時、時差なしで同じ時間を共有し同じヨーロッパの空気を吸っていた、というただそれだけの縁だが、それなりの思い入れがある。

アルマ橋そばに黄金色の
オブジェがあった。


なにやら東京は隅田河畔の某ビール会社の黄金の○○○を連想させるが、こちらの正式名称は「自由の炎(Flamme de la Liberte)」と言い、自由の女神の持つ松明の炎の部分をかたどったもので、アメリカから贈られたものだそうだ。
このオブジェの周囲に多くの花が捧げられ、15周年のマークがある。

そばに寄るとダイアナの写真が飾られており、彼女がパリで交通事故死した1997年8月31日から数えて今年は没後15年だと教えられる。

自由の女神をめぐる仏米プレゼント合戦は、以前「セーヌを歩く5」でも紹介したが、
フランスはアメリカ独立戦争を援助し、独立100周年を記念してバルトルディに依頼
した女神像を1886年に送り、その返礼としてパリ在住アメリカ人たちがフランス革命
100周年の1889年にミニチュア版を寄贈した。
その後アメリカ独立200周年に女神像の改装作業にフランスが協力すると、今度は
1989年のフランス革命200周年にその返礼としてアメリカが贈ったのがこのオブジェ「自由の炎」である。アメリカとフランスの連帯感は意外と強い。

パパラッチとのカーチェイスのあげく、彼女が乗っていた車が激突したのはこのトンネルの中央分離帯の柱で、ほぼ即死だった。

ダイアナ妃の交通事故はたまたまこの自由の炎の真下のトンネルで起こったのだが、今や慰霊碑代わりとなっているこの場所に、15年目の祥月命日に居合わせた私は
やはり因縁浅からぬ気がしている。合掌。(いの)
 
この写真を貼ったのはイタリア人らしい。もやは観光名所なのか?