ヴェルサイユ行進その2

中一日置いた日曜日、快晴である。
筋肉痛も治まったし、エレベータも廊下の照明も直った。ヴェルサイユ行進を続ける
ことにした。9時に家をでて、バスでサンクルー広場へ向かう。
9時40分サンクルー門から出発。凱旋門ほどではないが、ここも放射線状の道路が
集まってきており、正しい道を選ばないととんでもない方向へ行ってしまう。
パリを囲む高速道路環状線、現在のパリはここまでが
パリの城内といったところか。
この環状線を超えて、いよいよヴェルサイユへ。
西へ向かってほぼ一直線だが、道路名を確認しながら進む。

エドゥワール・ヴァイヤン通り。ヴァイヤン(1840〜1915)はフランスの社会主義者普仏戦争後、国防政府に対して蜂起したパリの民衆の革命政府、パリ・コミューンにも参加している。そのパリ・コミューンを打倒しようと、ヴェルサイユからドイツの支援を受けた国防政府軍のティエール軍が1871年5月にこの道を通って、パリ城門に突入、パリの民衆3万人の死者がでたという血の一週間の粛清が始まる。

途中から道はルクレール将軍通りと名前を変える。
ルクレール将軍は自由フランス軍を率いて、この道をパリ解放のため1944年8月
25日に通過、そのため名付けられたのだろうが、パリ市内にもこの解放の英雄の名前をつけたルクレール通りはたくさんある。パリ解放の後、彼はヴェトナムに派遣され、
独立勢力を圧殺し、「殺戮者ルクレール」とあだ名された。もちろんフランスでは英雄である。
10時10分セーヌ川を渡る。川の両岸の木々の黄葉は始まっている。

橋の下では大学のボート部だろうか? 練習中。

橋を渡るとパリの隣町セーヴル Sevres 。

ルイ14世の愛妾ポンパドゥール夫人が後援した王立セーヴル窯があったところ。
国立陶芸美術館がある。

アカシア並木が美しい黄色に。日照の関係だろうか、パリではこれだけそろって
黄葉している並木はめずらしい。

10時55分、次の町シャヴィル Chaville に入る。

教会の横では古書市が開かれていた。





隣町ヴィロフレイ Viroflay 通過は11時45分。
ここのカルフールはすでにヴェルサイユ店と呼ばれている。



フランス革命の頃はこのあたりはシャヴィル原野、ヴィロフレイの森と呼ばれていた。
今はとぎれなく人家が続く。
ヴェルサイユまでの最終ストレッチに入る。

12時5分前、終にヴェルサイユのパリ通りへ。

我々の壮挙を祝して横断幕があるのかと思ったが、どこからか大量のランナーが!

道端では行進曲が奏でられている。

ラソンのゴール

ラソン終わった人に聞くと、今朝10時にエッフェル塔
出発したという。

日曜マラソン大会かと最初思ったが、このパリ→ヴェルサイユレースは
今年で35年目。伝統あるレースで

参加者もこのゼッケンから見ると2万人近くはいそう

我々も最終ゴールヴェルサイユ宮殿

目標達成、祝杯をあげるべく調べておいたマルシェそばのビストロへ。ここで、オーストラリアからこのマラソン参加のために来たという83歳のおじいさんに会う。
付き添いの奥さんとその友人(パリ在住?)の3人連れ。このお年でハーフマラソン完走、りっぱだ。


メニュの3コース中2コース、ひとりが前菜とメイン、もうひとりがメインとデザートをとるというこのごろお気に入りの注文のしかたで、
前菜は南欧風野菜の焼いたもの。

メインはアントレコート、これは二人前の注文で、焼いた後、それぞれにわけてサーブしてくれる。


付け合せのポテト。



デザートはババ、たっぷりラムをかけてもらう。

国王の馬車を囲んで歩いて帰った往時の女性達とは違って、RER,C線でパリへ。


大観光地だけあって、駅の説明もインターナショナル、日本語や中国語の説明もあった。(とら)