マレを歩く その2

フィリップ・オーギュストの城壁のある運動場からサン・ポール・サン・ルイ教会の裏側が見える。裏手からの風景はロンドンのセント・ポールとやや似ており親近感があるが、表に廻って見る正面ファサードは3層階、ドームの高さは55mと威圧的で好み
ではない。





ここでもミサの最中。ちょっと失礼してパシャリ。

この教会の前の通りはリヴォリから名前をサンタントワーヌと変えバスチーユ広場へとつながっている。なんとなくロンドンの通りに雰囲気が似ている気がした。

いよいよマレの華、ヴォージュ広場だ。
この広場の来歴は:シャルル6世の時代、1388年この地にトゥルネル宮殿が築かれ長い間宮廷の館だった。
その後1559年当時のアンリ2世は、現在のバスティーユ広場近くでの槍試合の事故(顔面に槍が突き刺さる)で重傷を負い、この宮殿に担ぎ込まれるも10日後に死亡。
このため王妃カトリーヌ・ド・メディシスはこの宮殿を嫌い、以降寄りつかなかったため
16世紀半ばに取り壊される。
その後この空き地を広場にしようとの計画が進み、アンリ3世時代に用地が拡張され、アンリ4世時代の1612年ロワイヤル広場と命名されオープンした。大革命で共和制となったのでヴォージュ広場へと改名された。

王の館は他の貴族のそれより少し背が高い。

 

この広場の四辺形には36戸の館が同一基準で
整然と並んでおり見ごたえがある。


広場に中央にはルイ13世の騎馬像
アーケードには店や茶店が並び、
音楽のパーフォーマンスも多い。

シュリー館はサンタントワーヌ通りからもヴォージュ広場の片隅からも入れる。
1630年前後の建築物で、アンリ4世の重臣シュリー公が死ぬまで住んだので
この名前になった。その後女子寄宿学校になったりして、現在はギャラリーや書店、
事務所等が入っている。
正面玄関はスフィンクスで守られている。

正面建物の壁や窓の周囲には多くの彫刻があり、観光客必撮の場所だ。
左が空気、右が火の精。反対側に水と地の精の彫刻が対を成している。

シュリー館とは反対側のヴォージュ広場の角隅にヴィクトル・ユゴーが住んでいた記念館があるが割愛。

サンタントワーヌ通りをバスティーユへ向かうと右手にヴィジタション・サン・マリー寺院がある。1634年完成、地下聖堂にはニコラ・フーケの墓があったが、大革命で破壊
され埋められてしまう。1802年プロテスタント教会として再生、正面のコリント式円柱や装飾は19世紀のもの。

終点バスティーユ広場に到着。あっちこっちに寄っても2時間足らずの散歩だった。
7月革命記念碑は1840年完成。塔の上のキンピカ像は羽を持つ「自由の神」。

オペラ座ではちょうど「カルメン」公演が始まっていた。人気が高くやっとのことで
チケットを入手でき、後日行ったがその話はまたの機会に。(いの)