マレを歩く

我々はパリの南端に住んでおり、セーヌ左岸はそれなりに様子がわかってきたが、
右岸はルーブルから西の観光スポット位しか大して知らないことに思い至った。
パリ発祥はシテ島だが、それに次いで古いのはルーブルの東、バスチーユ広場までのマレ地区だ。その中でもリヴォリ通りとセーヌ河の間の狭い一帯が一番古いパリだ。
その面影を探してこの一帯を歩いてみようと考えた。
マレ地区発祥は市庁舎だ。ここを起点に東へバスチーユまでの歴史あるモニュメントを軒並み見て回ることにした。

ところが地下鉄の出口を間違え市庁舎の反対側、サン・ジャックの塔の方へ出てしまったのでここから始める。
通りにポツンと屹立する塔は、実は古い教会の鐘楼だった部分。
フランス大革命時に破壊されこれだけが取り残された。

パスカルがこの塔を使い大気圧の実験をしたという故事を記念して、塔の真下にはパスカル像が鎮座している。

パリ市庁舎にはちょっとしたクリスマス飾りが。市庁舎広場では恒例のスケートリンクの工事が始まっていた。






市庁舎の裏側からセーヌを右手に見ながら通りを渡るとサン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会がある。
パリのなかでも古い教会のひとつで11世紀に建立、その後も増改築が重ねられ、高さ41mのファサードは17世紀のもの。
ミサの最中だったので異教徒は遠慮して中には入らなかった。

後陣の屋根。

教会から更に二筋ほど先の狭い通りのシャロン・リュクサンプル館正面玄関。
1608年ごろの建物だが、1625年ルーアンの商人シャロンが買い、1659年ルクセンブルグのペオン王に転売される。何故か両人の名前と購入年号が刻まれている。

フランソワ・ミロン通りにある木造骨組みの家。石造りの建物しかないパリでは珍しい。

正面に二つの小塔がある、いかにも中世という趣のサンス館。
修理工事中で全貌が見れないのは残念だ。

サンス館の一つ先の子供たちが遊ぶ狭い運動場、その壁がフィリップ・オーギュスト城壁だとは知らなければ通り過ぎてしまう。
フィリップ・オーギュストの第三次十字軍遠征の前に、当時19万人のパリ防御のため建設することにし、1213年完成した。
その後150年使用されパリ拡大に伴いうち捨てられ、1946年発見された。

 
この運動場のある小さな通りには更に小さな小路があり
茶店や雑貨店がぽつぽつと並んでいる。
なんとなく京都に近い趣きだ。この続きは次回。(いの)