ベルリンの壁

ベルリンを東西に分断した壁は右と左にスッパリ割り切ったものではなかった。
市の中心部をあらわすこの写真のブルーは東西に流れるシュプレー河。赤のラインが壁でかなりジグザクとしている。総延長155kmものこうした壁で西側のベルリンをすっぽり囲い、東ドイツから流失する人の流れを断ち切ったのだから恐れ入る。ちなみに
左下のグリーンの部分はティアガルテンで、緑と赤の重なるあたりにブランデンブルグ門がある。つまり門の左が西ベルリン、右側が東ベルリンとなり、分断の象徴的存在だったのが良く分かる。

壁の一部を残してあるベルナウアー通りに行った。
上の写真では中央の上部に湾曲した赤のラインで示されている辺りである。
壁の心棒のみが屹立し、折からの積雪が重なった風景は荒涼感がいや増す。

壁ができた1961年と崩壊の1989年の写真が
プリントされた白壁。

1961年8月13日深夜0時作戦開始、13時までに有刺鉄線で仮囲いし、その2日後から石の壁づくりが始まった。
この発掘現場みたいなのは、家の間取りの礎石で、左側の壁により家そのものを分断した、というから酷い話だ

東ドイツ兵が銃を持って石を積み上げる労働者を監視している。

アッカー通り。壁建設開始時1961年の写真が白壁にプリントされている。

出来上がった1963年。

崩壊の翌年1990年の写真。右奥に監視塔が見える。

その監視塔は今も残されていた。

最初で最後の「いの」の公開。塀の高さとの比較のため登場。

1976年のドイツに赴任、その数年後に初めて西ベルリンへ行った。
西ドイツのルフトハンザ航空は飛行禁止なのでブリティッシュ航空で飛んだ。
夜だった。着陸態勢に入るとそれまで闇だった東ドイツの真ん中に光り輝く西ベルリンがぽっかり現れる。西側の豊かさを見せつけるため当時の西ドイツでもあまり見ないネオンが景気よく瞬いていたことをよく憶えている。(いの)