フランス革命歴

「どうしてフランスで1年過ごしたいの?」とは定年後の予定を聞かれて答えたとき友人たちによく聞かれた質問だった。(フランスのヴィザ申請のときの質問でもあった)

フランス革命歴で生活したいのよ」とその都度半ば冗談で答えていたが、もちろんヴィザ申請の時には過激な思想の持ち主と判断されては困るので適当な理由を書いた。

暦を支配するということはこの世を支配するということ。ジュリアス・シザーも織田信長もそして、フランス革命政権も新しい暦を導入しようとした。フランス革命歴は1793年から12年間しか使用されず、歴史年表上に「テルミドール9日の政変」「ブリュメール18日のクーデター」として名を残すのみとなったが、美しい季節の名前がつけられた各月の自然をパリで感じたいというのは本音だった。

パリ到着の12月21日はフランス革命フリメール(霜月)30日、翌日のニヴォース(雪月)1日から新生活、と日本にいるときは楽しみにしていたが、到着したら雑事と食事に気持ちも時間も奪われて、すっかり忘れているうち、季節はめぐり、プリュヴィオーズ(雨月)も終わり近く、ヴァントーズ(風月)1日(2月20日)には革命政権が嫌っていたと思われるキリスト教のドンチャン騒ぎカーニヴァル見物にヴェニスに行く予定である。

団塊の世代には少し遅れるが、大学紛争で卒業式が中止になった年代としては「革命」は今でも心躍る言葉。その後起こった中越戦争(え〜っ中国とヴェトナムが戦争なんてどっちに味方したらいいの?)ソビエト連邦の崩壊などを経て革命の裏側と結末を見聞きしてはいても「ジャスミン革命」と聞くと革命を応援している。初めの理想がどのようにして変容してみじめな結末を迎えざるを得なかったのか、この最初のケースがフランス革命ではないか?

この1年、革命ゆかりの場所に行ってみて、たとえばコンコルド広場の大観覧車に乗ってこの広場の歴史に思いをめぐらすとか、じっくり考えてみたいものである。

ちなみにフランス革命歴の1年は秋分の日であるヴァンデミエール(葡萄月)1日から始まる。平等である。12か月はすべて30日であまった5日は休日、これだけでなく1週間は10日、1日は10時間、1時間は100分、1分は100秒など10進法を徹底しようとしたため、時間の混乱と時計の製造の関係で定着しなかったようである。同じ時に新規考案され、制定されたメートル法は今でも使用され、グローバルスタンダートに! 時計よりものさしの方が作りなおすの簡単だよね。(とら)