トゥールーズ市内散歩

朝から快晴、今日は終日トゥールーズ市内観光だ。予報だと最高気温28度、湿度はパリよりは若干高いが東京と較べたらカラッとしている範囲だ。
まずは町の中心、キャピトル広場からスタートした。


立派な市庁舎の時計の上にこの名前の由来 Capitolium
「議事堂」 の文字が刻まれている。


カトリックの建築物がトゥールーズには多い。バジリク・サン・セルナンはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の一つとして、1998年世界遺産に登録された。
















市内を横切るミディ運河を見学すべく北西へとことこ歩いて行くとトゥールーズ駅に
ぶつかった。正面玄関周辺にはレンタカー営業所も駐車場も見えない。

でも駅レン場所の図式は見えてきた。
まずは駅裏口側を探すことだろう。

駅前のミディ運河のしょぼさには
がっかりだった。

ミディ運河とは、地中海と大西洋を結ぶ大運河の地中海からトゥールーズまでの240キロをいう。トゥールーズからはガロンヌ運河の名でボルドーへと流れていく。
1666年着工、19世紀に鉄道ができるまで、大量輸送ルートとして使われていた。
フランスを横切るこの運河が西ヨーロッパを二つに分断している、とも言えるかも。

さて駅から一転南西方向へ方向変換し、一気に市の中心部を横切ってジャコバン
修道院へ向かう。小道が多く視界を狭めている。地図でチェックしないと見逃してしまいそうなせせこましい場所にあった。

13世紀前半(日本の鎌倉時代トゥールーズカルカソンヌなどは交易で繁栄していた裕福な都市であった。これら南西フランスの諸都市は、ローマ・カソリック教徒、カタリ派ユダヤ人、アラビア人などが平和に共存していた。カタリ派は交易路を通じてアラビアの影響を受けた宗派であったという。

清貧を旨としていたカタリ派汚職で堕落していた当時のローマ・キリスト教を激しく
批判し、反対にローマから異端と断定される。ちょうどこのころ活動を開始したドミニコ会が最初に建てた修道院がこのジャコバン修道院である。この修道院は当然ローマと組み、カタリ派殲滅の拠点となる。そしてローマ法王の命を受けたアルビジョワ十字軍の攻撃により、これら南西フランスの各都市は大きな被害を受け、その後急速に衰えていく。

そんな凄惨な歴史はなかったかのようにひっそりとしたたたずまいの礼拝堂は、驚く程なにもなく質素とも言えるがらんどうだが、かえってそれが荘厳さを醸し出している。
高さ22mの柱22本が丸天井の筋交い骨を支え、隔てられた二重本堂となっている。


天井は星型になっていて、見上げると最後の柱は
ヤシの形をした美しい形だ。


内観料を払って修道院の中庭に入ると静寂さが増す。
確かに回廊と糸杉は立派だがカネを取るほどのことか、と甚だ疑問に思った。

 



そのあと市内を流れるガロンヌ川まで行き、川に沿ってしばらく北上してみる。
川向こうに見えるドーム屋根はラ・グラーヴ病院に付属する礼拝堂。
左手の橋はサン・ピエール橋。

ガロンヌ川から水を引き入れミディ運河へつなぐブリエンヌ運河の岸辺を散歩。

ぐるっと廻って戻る途中にあった昔の城壁の跡。旧市街を守った壁はさすがに厚い。

この日は初夏の陽気。
若者たちがバーにたむろし、ビールやワインを片手にわいわいやっていた。

この町は中世の面影を色濃く残し、一方で欧州資本の多国籍企業エアバスの本社・工場もある近代的な都市でもある。ここに働く外国人も多く、イギリスやドイツ人もそれ
ぞれ約一万人が住んでおり、わがダゲール街より英語が通じる。歴史と伝統ある都市なのに国際性も兼ね備えた、一種独特な雰囲気のある町だった。(いの)

Place du Capitole
Basillique St-Sernin
Canal du Midi
Couvent des Jacobins