モンセギュ―ルの村と宿

つづら折の急坂を登っていくと突然見覚えのある形の山が眼前に現れた。
モンセギュ―ルだ!
車を降りてつくづくと眺める。切り立った山の上に城塞がぼんやりみえる。

天候はうす曇り。明日は晴天となることを祈って登山を見送り、ホテルのある谷合の村に向かう。


この山間の小さな村は全部で160戸あるが、今では80人あまりの人しか
住んでいない。最低半分は無人・廃屋。 過疎化は日本だけではなかった。

村を一回りするのに
15分もかからなかった。


村の中心の教会の広場に戦没者慰霊碑があった。
第一次世界大戦の戦死者がだんぜん多い。

21人もの若者が死んでいる。
南西の寒村から徴兵されて、
西部戦線に送られたのだろう。
ヴェルダンのフランス兵墓地を思い出す。

同じ姓がいくつもある。兄弟そろって帰ってこなかった家族の嘆きが想像できるようだ。
一番新しい戦死者は1958年のアルジェリア戦争の時、BONNET氏という名前だ。
名前から見ると第一次大戦で戦死したBONNET氏の息子だろうか?

村には店も食堂もなく、夕食はこのオーベルジュでとるしか選択枝はない。
山歩きの登山客、それも英国人客が多い。ホテルの女主人がイギリス人のせいか。

室内装飾はイギリスのアーサー王物語のタペストリーである。
モンセギュ―ルは「聖杯伝説」にも名前が登場する。
聖杯とはキリストが処刑された時の血を受けたといわれるもので、様々な奇跡を起こすとされ、古来からその行方が探し求められていた。アーサー王伝説もそのひとつ。
カタリ派が秘匿しておりモンセギュ―ルが落城壊滅した時にこのあたりに隠したという言い伝えもあり、第二次世界大戦の時、聖杯を探すヒットラーのドイツ軍がこのあたりを探索していたという。

トゥールーズでそれなりに食べてきたので軽くということでアラカルトメニュをとった。
アペリチフについてきたオリーブとナッツ。これがおいしい。オリーブを買いたいと思い女主人に尋ねると、自家製でレストランで出す分しか作っていないとのこと。

前菜二皿、主菜一皿を二人で分けることにし、まずチーズフォンデュ―前菜版。
量はちょうどいいが、保温がされていないのですぐ冷めてしまう。

フレッシュサラダ

最後がホテル特製ジャガイモと
牛肉の煮込み




山の村の夜は早い。しかもかなり冷えてきている。
我々もねばらずに部屋に戻り、明日の登山に備え早く寝た。(とら)

Auberge de Montsegur
52 rue du Village 09300 Montsegur
電話 05-61-01-10-24