モンセギュ―ル城登攀?

朝の天候は曇り、霧がかかっている。
ホテルのフロントでモンセギュ―ル城に登ろうと思うのだが、と聞くと、険しい岩の道もあるので、滑らない靴で行った方がいいとの事。でも今はいている靴しかない。
上りにどれくらいかかる、30分ぐらいだろう、それならたいしたことないなと思ったが、
とにかく天候が気になる。山の天候は分からない、今雨でも30分後には晴れるかも、というお答え。
ここまで、来たのだ、行くっきゃないと出発した。

登り口に車を停める。すでに5台駐車している。ということは
最大5グループはすでに登っているということか。
天候は今にも降り出しそうな曇り、しかし30分後には晴れるかもしれないのである。

急な坂道を少し上ると、入山料?の受付があり一人4.5ユーロを支払う。

そこからは視界が開けない灌木の道だ。
山の花が美しい。5里霧中と
いう程ではないが雲の中。
ただ樹がさえぎってくれて、
濡れる感じはない。

30分の登り道と聞いていたので、箱根の山もそれくらいは上ったことがあるので
大丈夫と踏んでいたが、勾配がきびしい。

上りは何とかなっても、降りることの方が気になる。下ってくる人がいたので、上まで
どれくらいか聞くと、わからない、雨も降り出し視界がないので登頂しても仕方ない、
自分たちは引き返すところだとのこと。しかし、山の形からしてそろそろ頂上も近いの
ではと信じて登り続ける。

しばらくすると急に霧の中から城壁が現れる。ついにここまで来た!
チケット小屋で渡されたパンフを見ると海抜1,200メートルとある。 

城壁の中には当然なにもない。それほど広いスペースでもない。

1209年に始まったアルビジョア十字軍に追い詰められたカタリ派の信者たちは、このモンセギュ―ルの山頂に安全な場所をもとめ、城塞を補強して閉じこもった。
しかし1242年教皇使節が殺害されたことにより(残っている文献によればモンセギュ―ルから派遣された信者が犯人)、フランス国王の指揮による十字軍が再度組織され、翌年の5月から攻撃が開始された。モンセギュ―ル城は極寒の冬の時期を持ちこたえたが10か月後に陥落する。15日間の猶予が与えられ、信者たちは信仰を捨てるか、火あぶりになるか選ばされた。そして、220人余りが山を下りた今のチケット小屋を出たあたりの野原で火刑にされた。
この限られたスペースで、追い詰められたカタリ派の信者たちが30年間にわたって
籠城していたのかと雨の中思いをはせる。晴れていれば、ピレネーから地中海まで見渡せるという眺望は全くなく、雨にくすぶっている。この高さ、勾配だと攻める方も大変だったろう。以前琵琶湖畔の浅井長政小谷城跡に登ったことがあるが、そこより
ずっと急な登りで孤立している。この山を囲めば食糧攻めですぐ降伏しそうにも思えるが、10か月も耐えたということは地元のひそかな支援があったのだろうか。

雨が激しくなってくる。しばらく城壁の下で様子を見て、止むのを待つが、ますます強くなってくる。降りる勾配は急で濡れているので滑りそうである。見切りをつけて降りる
ことにする。フードつきの上着は着ているが、傘を持ってこなかったので結構濡れる。
手すりにつかまって時々滑りそうになりながら、やっとのことで降りた。車に戻って濡れた洋服を着替える。一息着いてから最後の目的地カルカソンヌに向かった。(とら)

Montsegur

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