セーヌ河を歩く その四

セーヌ河はパリ市内を富士山みたいな山の形に流れており、アルマ橋からコンコルド橋の間がちょうど山の頂にあたり、コンコルド橋より上流、シテ島方面へは大きく右肩下がりに蛇行して行く。

コンコルド橋 Pont de la Concorde
この橋の右岸はコンコルド広場。オベリスク(写真左)と広場の向こうのマドレーヌ寺院(写真中央)が望見できる。

この橋は1791年完成。最後の仕上げに使われた石は破壊されたバスチーユから運ばれた。「旧城砦を人民がいつまでも足で踏みつけできるように」という趣旨だった。


反対側、左岸には国民議会 Assemblee Nationale がある。

1722年にルイ14世の娘ブルボン公爵夫人が建て、ルイ15世が買い上げブルボン宮となった。大革命により五百人会議の議場となる。現在577名の議員すべてが集まるのは重大議案だけだそうだ。
ちなみに議長席から見て左手が「左翼」右手側が「右翼」席。
6月の選挙で社会党単独過半数の314議席を獲得した。注目の的だった極右・国民戦線(FN)のルペン女史は第一回投票ではトップだったが、2回目の決選投票では既存左右両党の共闘戦線の前に接戦の末敗れた。
この辺のフランス政治独特の仕組みは我々には理解不能だ。

コンコルド広場から河沿いに進むと左手はオランジェリー、チュルリー公園へと連なっていく。
写真の手前側には、河にかかるソルフェリーノ跨線橋 Passerelle Solferino 、その先にオルセー美術館が見えて来た。

現在の建物をオルセー駅として使ったのはたったの40年弱。蒸気機関車から初期の電気機関車時代までで、電化が進みより長い列車運行が必要になるとこの駅は
ホームが短く役立たずとなる。二次大戦後劇場やホテルになったりしたが続かず、
1977年ジスカールデスタン大統領時代に美術館として建物保存が決定。1986年
ミッテラン大統領による改修・落成式となった。旧印象派美術館(ジュ・ド・ポーム)の
作品すべてがここに移設された。
こうして書いていると同時代を生きてきたのに歴史を語っている錯覚に陥る。
自分が最初にパリに来ていた頃は時間があると印象派美術館へ通ったものだ。
こじんまりしていて、今ほど観光客が集まっておらず、ゆっくり静かに観ることができ
好きだった。今は昔、自分も歴史の暗闇に既に片足突っ込んできているのかも。

終点、ロワイヤル橋 Pont Royal。ルーブル美術館の西の端の館だ。(いの)