モンパルナス墓地 その二

前回はいろいろ探しても見つからなかった有名人の墓を、今回は墓地管理事務所に
立ち寄り墓マップをもらって取材した。
地図といっても人名と番号が大体の見当で載っているだけで、似たような墓の列が
続いているため捜索は困難を極めた。一時間半かけて探したが、発見率は目標の
65%程度だった。

マン・レイ Man Ray (1890−1976) 写真家、画家  
ロシア系アメリカ人 1921年パリへ移住。アートと商業写真を使い分け、ファッション
写真はヴォーグ誌などを賑わす。アート写真の最高値は1998年秋のクリスティーズで 落札されたシルバープリント2枚組で、$607,500(当時の邦貨で約7千万円)だった。妻ジュリエットと共に眠る墓碑には、左の丸い石に「Unconcerned, but not indifferent」( 無関係だけど無関心ではいられない)。2人の写真付きには「Together Again」と刻まれている。










チャールス・ピジョン Charles Pigeon(1838−1915) 発明家
持ち運び可能な石油ランプの創業者。商標登録されている「ピジョン・ランプ Pigeon Lamp」で検索すると写真が出てくる。いまだにアンティークとして人気が高い。
でもそれよりも、この夫婦の像がほのぼのとしていい感じだ。







ジーン・セバーグ Jean Seberg(1938−1979) 女優 アメリカ人
ジャン・リュック・ゴダールの初監督作品「勝手にしやがれ A bout de souffle」で主演。この映画はフランソワ・トリュフォーが原案を書いた。つまりヌーヴェルヴァーグ系女優ということである。これでは古すぎるという人でも1970年の「大空港 Airport」はテレビで見たことがあるかも知れない。
晩年の彼女はウツで、車の中で薬物自殺体で発見された。
墓を見るといまだに高い人気が知れる。 








モーパッサン Guy de Maupassant (1850−1893) 作家、戯曲家
この墓を見つけるのに30分近くかかった(どうでもいいが...)。
約10年で300の短編と6つの長編を書き、精神に変調をきたし42歳で没。
女の一生」が代表作だが、自分は男なので読んでいない。
短編「脂肪の塊」はタイトルに親しみを覚えるが、内容に興味はない。

ボードレール Charles Baudelaire (1821−1867) 詩人
調べると代表作「悪の華」は堀口大學や佐藤朔など6人が翻訳している。自分は福永武彦が好きだが彼の翻訳では読んでいない。福永訳で読めばこの人にもっと親しみを持てたかも知れない。ウィキペディアによると、「ダンディとして知られ、亡父の遺産を
もとに散財の限りを尽くし、準禁治産者の扱いを受ける。その後は、死ぬまで貧窮に
苦しむこととなる」とあり、やはり青春時代にはまった太宰治を思い出す。破滅型人生を歩み、46歳梅毒による精神変調で没。
桜桃忌を中心に太宰の墓には花が絶えないが、ボードレールも同様だ。
置かれたジョニ赤のビンに少しウィスキーが残っているのはほほえましい。
 
アンドレシトロエン Andre Citroen (1878−1935) エンジニア
1919年大量生産方式導入でシトロエン社設立。アメリカのフォードに迫るフランス
最大の大自動車会社になり今日にその名を残すが、彼自身は1934年急激な事業
拡張が祟って経営破綻に陥り、タイヤメーカーのミシュランの救済を受け経営から退いた。翌年失意のうちに胃癌で死去。そのせいかシトロエンの名声に比してその墓は
実に質素だった。


墓は彼個人のものではなく、アンドレシトロエン家の墓、とある。


ルフレド・ドレフュス Alfred Dreyfus (1855−1935)士官 ユダヤ
彼がユダヤ人でなかったらもっと早くスパイ容疑をはずされたか、は分からないが、
当時のフランスのヒステリー状況から生まれた冤罪事件は色々な面でいまだに今日性があり、他山の石として興味深い。小沢・西山建設事件との比較論があるが、ドレフュス事件の方が断然面白い。家族やエミール・ゾラの働きにより1906年無罪を獲得した彼は1935年にパリで死去したが、彼の死の二日後の葬列の日はその死を悼み、謝罪の気持ちからか祝日となったそうだ。

たまたま墓をみつけることが出来たこの7人の内、穏やかにあの世へ行ったのは最初の2人だけだろう。名声、カネ、作品、人の記憶、などなど彼らは何かを後世に残して
いったが、当人は自分の人生をはたしてどう総括しながら逝ったのだろうか。(いの)