モンパルナス墓地 その四

モンパルナス墓地シリーズの最後は知る人ぞ知る的な地味めな有名人の墓を
紹介します。

マルグリット・デュラス Marguerite Duras (1914−1996)
まだ亡くなってから6年にしかならない。ジャンヌ・モロー主演で映画化された
モデラート・カンタービレ」(日本語の題名は「雨のしのび逢い」)や「愛人・ラマン」
などが代表作。死の直前まで年下の愛人の協力で執筆を続けた。遺作の題名
「C'est tout」は「これでおしまい」と訳されているが、買い物をするとき
「もうほかに買うものはありませんか?」と聞かれたときに「That's all」
と答える言葉で、挨拶についで一番よく使うフランス語である。







出版人の墓
モンパルナスやサンジェルマン地区には出版社が多い。この墓地にはフランスを代表する出版社3社の創業者が眠っている。亡くなった年代順に記載。

アシェット社(1826年創業) Louis Hachette (1800−1864)
個人の墓ではなくファミリーのお墓。世界最大の出版社の創業者の墓はちゃんと掃除されていない。
もはや創業家の力はグループに全く及んでないのか?





















ラルース社(1854年創業) Pierre Larousse (1817−1875)
今はアシェットグループの傘下に入っている。一時代前の大百科事典の嚆矢となった
「Grand Dictionnaire universel du XIX Siecle(19世紀世界大百科事典」
の発行者・編集者としての功績をたたえて、胸像の下に書名が記されている。






フラマリオン社(1864年創業)Henri Flammarion(1910ー1985)
創業者は Ernest Flammarion(1846−1936)だが、ここに葬られているのは
彼の孫にあたり、長く社長を務めたアンリとその夫人。
フラマリオン社は長く創業者一族のファミリービジネスであったが、
この墓を建てたシャルルがファミリー最後の社長となり、会社はイタリアのRCD社の
傘下に入った。

彫刻家の墓も多い。
すぐそばのダーンフェルロシュロー広場のライオン像の作者バルトルディ。
またブリューデルやザッキンのアトリエも墓地から近い。
これも亡くなった年代順に、作品も一緒に見てください。

バルトルディ Auguste Bartholdi(1834−1904)
華やかな墓だ。


自由の女神、ダーンフェルロシュロー広場の
ライオン像の作者と書かれている。



ブールデル Antoine Bourdelle(1861−1929)
代表作は弓を引くヘラクレス













ブランクーシ Constantine Brancusi (1876−1957)

モンパルナス墓地にある「接吻」




ザッキン Ossip Zadkine (1890−1967)


セーヌ川にあるメッセンジャー

劇作家の墓
1960年代に日本でももてはやされた不条理演劇の旗手ふたりの墓がある。
墓自体はいわゆる普通の墓で、彫刻家たちと同じような形であるし、
不条理演劇のことは全く興味のない人も多いと思われるので、小さくします。
ベケットの代表作は「ゴドーを待ちながら」。
イヨネスコの代表作は「禿の女歌手」。

ベケット Samuel Beckette(1906−1989)

イヨネスコ Eugene Ionesco(1912−1994)

すっかり墓探しに慣れてきた。
8月はペール・ラシェーズ墓地に挑戦する予定である。(とら)