ロンドン・女子マラソン
ロンドン最終日。14:55発のユーロスターに間に合うよう13時半にタクシーを呼んで
ほしいとホテルのフロントに頼む。もちろん二つ返事でおまかせください的な言葉が
返ってくると思っていたが意外にも返事は「ノー」。今日はオリンピック女子マラソンが
行われるので、ホテルの周りは通行止め、タクシーは入ってこられないと言われる。
早速表通りに出てみると、セントポールの周りは一夜にしてマラソンロードに!
地下鉄の駅入口は閉鎖され、隣の駅へは規制された道路を渡らねばならない。
そのルートを確認し、ホテルのチェックアウトも済ませ、中華街へ最後のランチを食べに行った。
マラソンは11時スタート。12時半頃ならセントポールのあたりはもうヤマは超えてるだろうと思っていた。昼食から早めに戻り、荷物を持ってさあ地下鉄へ。
ところが我々が横断する規制線まであと10m位のあたりでゲートクローズ!係員に聞くと、ランナーが来なくなればすぐ
開けますよ、と気軽に言う。
仕方がないので暫く撮影に専念。
係員も夢中で撮影。
この紫色のジャンパーを着た人たちはボランティア。全部で7万人が国中をあげて手伝ったそうだ。
バンバン走り抜けて行く。みんな早い。日本人選手は大分遅れていた。
ところがいつまで経っても選手が途切れない。リタイヤ直前の選手がとことこ
歩いていた。早く抜けろ!
結局小一時間近く応援する羽目になった。昔、元日2日に箱根を下りて湘南に向かう途中で駅伝の規制に引っ掛かり、渡された読売新聞の旗を仕方なく、自棄になって
振ったことを思い出した。
なんとかセント・パンクラス駅に着いたのは14時少し前だった。
デューティ・フリーでウィスキーでも買おうと
思っていたが何もない。ただの駅だった。
(いの)
約半世紀前の東京オリンピック以来2回目のオリンピック観戦であった。一番注目されていた「なでしこ」2回のほかに思いがけなく女子マラソンを観戦できたのはラッキー
だった。1964年には開会式の練習、陸上(走り高跳びなど)を観戦したほか、三鷹の沿道で男子マラソンのアベベを見たことが思い出された。今も昔もマラソンはチケットを入手できない一般人がただで見られる競技である。駅伝も是非オリンピック競技として取り上げて欲しいものだと思った。(とら)