シチリアの晩鐘

ウイーンのオペラ座ウィーン国立歌劇場の名前でも知られている。ミラノのスカラ座、パリのオペラ座と並ぶヨーロッパ屈指のオペラ座だ。1860年代のウィーン大改造都市計画の時に、城壁を取り壊した後にできた環状道路「リンク通り」に面して建設された。
パリと同じようにここもネットで予約ができる。ウィーン滞在中のオペラはヴェルディの「シチリアの晩鐘」のみ。聞いたことのない演目であるが、2階のバルコンの最前列という良い席が取れたので劇場見物を兼ねて行くことにした。

オペラ座正面

階段を上がって座席へ、ウィーンは何故か日本人の姿がめだつ。
私たちの桟敷席は5人定員だったが新婚さんを含み全員が日本人だった。
驚いたのは開演前の「携帯を切れ」等のアナウンスが独語、英語に続いて日本語だったこと。「音楽の都」観光ツアーにはオペラが含まれていて日本からの観光客は全員観劇に来るのかも知れない。

席の前にはパーソナルタイプの座席字幕システム。
小型液晶画面にドイツ語と英語表示、表示オフを自由に
選択できる。日本では国立能楽堂にある。
おかげで、初めてのオペラの内容がよっくわかった。


桟敷席は優雅で芝居見物という雰囲気があり好きだが最近の劇場にはない。歌舞伎座では桟敷は左右にあり芝居を見るには適した位置とはいえないが、ここでは正面、良く見える。しかし歌舞伎と違って飲食はだめ。ワイン片手での観劇はできない。

天井桟敷や   平土間席の一番後ろには立見席もある。

ここもいっぱい。
3時間半立ちっぱなしは辛いのでは……


シチリアの晩鐘」は、パレルモで島民によってフランス人が虐殺された実際の事件をもとにしている。当時シチリア王国はフランス王族であるアンジュー家が支配しており、イタリア系の住民の間には不満が鬱積していた。
1282年3月30日、アンジュー家の兵士がパレルモシチリア住民の女性に暴行したことに怒った住民が暴徒化した。その日は復活祭の翌日に当たる月曜であり、教会前には大勢の市民が晩祷(夕刻の祈り)を行うため集まっていた。彼らが暴動を開始したとき、晩祷を告げる鐘が鳴ったことから「シチリアの晩鐘」事件と呼ばれている。

第一幕、 フランス兵たちが集まっている所へ兄を殺され喪服に身をつつんだエレーナ皇女(ソプラノ)が現れる。「なんと美しい」と兵たちは歌っているのだが、このエレーナ皇女役=若い美人、のはずが、天童よしみをもっとおばさんにして更に5割増し位の堂々たる体格なのには驚いた。最初おつきのほっそりした女性がエレーナ皇女かと
思った。しかし歌はうまい。同じようにエレーナ皇女の恋人シチリアの若者アッリーゴ役(テノール)も見てくれはさえない。このふたりにシチリア総督モンフォルテ(バリトン)、革命家プローチダ(バス)が主な登場人物。シチリア独立グループ=エレーナ皇女+
アッリーゴ+プローチダと、フランス側=モンフォルテ+フランス兵の対立で話は進む。アッリーゴは実はモンフォルテの実の息子だと判明する一方、シチリア市民を扇動するプローチダ破局へ向かって舞台は進む。この男性3人が演じる夫々のキャラクターが際立っており、歌も素晴らしかった。だんだんエレーナ皇女の見かけも気にならなくなってきて、愛を捧げられる美しい人にふさわしく見えてくる。オペラは見てくれよりも歌唱力だと実感した。

幕間のドリンクタイム。小部屋やテラスなど5か所以上にセットされている。
シャンデリアも豪華。

シャンパンとアミューズを注文。パリオペラでは単純なサンドイッチしかなかった。

ここでは正装のひとも結構いる。男性はダークスーツとタイ姿が多い。
いのはノーネクタイで来たのを悔やんでいる。
とらは着物。ぼかしの単衣にステンドグラス柄の帯。

舞台装置は全面が階段。これを上下させ舞台効果を際立たせている。衣装は現代風。

次々に出演者が登場する様式のカーテンコールはなく、文字通り主役級が
カーテンの前に現れる様式。
左からプローチダ、エレーナ皇女、一人おいてモンフォルテ、右端がアッリーゴ

席も良かったが、劇場も良かった。昔風の小さな劇場だからかと思っていたら、
2,200名収容という。オペラバスティーユよりは300席ぐらい少ないが、オペラ
ガルニエより座席数が多い。
音の響きが素晴らしかった、今年一番!それは劇場がいいのか、それとも出演者の
レベルがパリより上なのか?それに観客も素晴らしかった。拍手のタイミングや音の
ひびきがほかの劇場とは違う。
鳴り止まない拍手というのを初めて体験した。(とら)