美術史美術館

 
ウィーン美術史美術館は、ルーブルやプラドのように宮殿が美術館に転用されたものではなく、19世紀後半に最初から美術館として設計されたという当時としては稀な建物である。


向かいの対となるウィーン自然史博物館とほぼ同じ外観で、ハプスブルク家所蔵の
美術品を展示する美術館として1891年開館した。

多くの芸術家がこの美術館の内装に動員され、その中にはまだ名前の出る前の
クリムトもいた。

今年はクリムト生誕150周年の企画として、
クリムトが担当した天井の装飾を近くから鑑賞できるよう
足場が組まれていた。

 

その吹き抜け階段ホールの天井画は「ルネサンス賛美」(ムンカーチ)。
クリムトが担当したのは2階入り口の上部の柱の間を埋める装飾画だった。

この美術館の1階は古代エジプトからローマ、3階はコインや彫刻等が展示されて
いるが、今回は2階の絵画ギャラリーだけに集中した。

ハプスブルグ家コレクションは当然持ち主の肖像画が多い。
ハプスブルグ家中興の祖マクシミリアン一世(1459−1519)のデューラーによる
肖像画
彼がブルゴーニュのマリー姫と結婚し、息子フィリップがスペインのフアナ姫と結婚し、その息子のカール一世が相続の結果として、オーストリア、ベルギー、スペインに渡る大ハプスブルク帝国の皇帝となった。その後ウィーンとマドリッドの宮廷に分かれるが、通婚しあい、協力関係をずーっと保っていた。

ベラスケスの描いたスペインのフェリッペ4世(1605−65)の王女マルガリータ
幼いころから叔父にあたるレオポルト一世の婚約者であり、そのため彼女の肖像画マドリッドからウィーンに送られてきている。白い衣装は5歳の時、青い衣装は8歳の時。もう一枚合計3枚もあるのはここだけだが、コレクションではなく送られてきたというあたりが流石ハプスブルグ家、他の美術館とは違う。
彼女は15歳でウィーンに嫁ぎ、21歳で亡くなる。
肖像画からでもうかがえるようにひ弱な少女だったらしい。
  
絵画ギャラリーは、イタリア・スペイン・フランスというラテン系とオランダ・フラマン・
ドイツ等のゲルマン系に分かれている。ゲルマン系が充実している。
特にブリューゲルは世界最大の規模の蒐集という。一部屋まるごとブリューゲルだ。
教科書で見た絵がぞくぞくと。

「雪の中の狩人」 ブリューゲル以前に雪を描いた画家はいなかったそうだ。

「農家の婚礼」

私の好きなクラナッハもあった。
ザクセン大公夫人シビレーとエミラ、シドラの肖像」

「アダムとイヴ」 クラナッハは10枚以上同じテーマで描いているが、私はこれが一番好き。ふたりの表情が良い。
知恵の木を挟んで、疑いをしらないアダム。もう知恵の実を食べてしまっている無表情のイヴが禁断の実を勧めている。

人気のフェルメールは「絵画芸術」。フェルメールとしては大きな絵だ。
フェルメールの全作品を見ることを世界旅行の目標とする人がいたが、私はそんなに
フェルメール好きではない。しかし、この作品には光の効果、女性の衣装とカーテンの青など良い面がでており、フェルメール好きの人の気持ちが分かった。

ラテン系コレクションの白眉はラファイエロの「草原の聖母」
見れば見るほど完璧な絵である。

絵画部門だけを広さでルーヴルと比較すると5分の1ぐらいか。しかしコレクションとしてまとまっている。あちこちから掻き集めたものと、ひとつの家系の収蔵品との差か。
品格を感じられるコレクションである。
さすが美術鑑賞を目的として造られただけあって、大きな部屋の真ん中にはくつろげる
ソファが多数あり、ゆっくり座って大作を鑑賞できる。世界の美術館の中でプラドが一番
好きだったが、美術史美術館も再訪したい好きな美術館となった。(とら)