軍事博物館

アンヴァリッド(廃兵院)正面ゲート脇には大砲が砲列を敷き、アレクサンドル三世橋やグラン・パレ方面に照準を向けている。

建物の正面にも中庭にもいろいろな時代の大砲が並んでいる。

中庭に入った両側の建物が、中世から第二次大戦までをカバーする世界有数の
軍事史博物館だ。各時代の槍・剣や銃などの武器から具足・甲冑、ヘルメットに
至るまで、よくまあ集めたものだと感心する。

実物大の騎馬像も中世から20世紀初頭まで多数並ぶ

 
大革命以降ナポレオンの台頭から没落まで、フランスはなんと多くの対外戦争を
繰り広げていたことか、がよく分かる。もっともそれ以前もそれ以後も程度の差こそ
あれ戦争を繰り返しており、ドゴールの「フランスは戦いによって創られた」という
言葉を実感する。
 

しかし大半の時間を費やし、じっくり見たのは第一次から第二次大戦までの戦史を
並べた回廊だった。一年刻みで時代背景や戦いの克明な説明が時々の映像や実物の武器など共にサラエボから原爆投下まで続く。

当時のポスターを並べてみても面白い。
第一次大戦時の大英帝国アメリカの居丈高な参軍キャンペーンと較べると
 
フランスのは優しいというか侘しささえ覚える。
 
東部戦線の道
と題する
ヴェルダンの
慰霊碑

第二次大戦時のポスターは日米共にギラギラとした敵への憎悪を鼓舞するものだ。

ところでパクリを発見。 というか、参軍キャンペーンは結局こうなる、という見本だ。
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1916年 フランス     
 

1943年 アメリ



ボーイングB17爆撃機の対空機関銃座(実物大)

ナチスドイツ、パンツアー戦車の砲塔(実物大)

出口に第二次大戦での各国犠牲者数を書き出したパネルがあった。
死者約5千万人、その内民間人は3千万人!
無差別な総力戦というか、現代戦では非戦闘員の犠牲が必然となり、
その数甚大という恐ろしさ。

旧ソ連と中国の犠牲者数がケタ違いなのが目を引く。民間人が過半を占めるという。
ポーランドの600万人はほぼ民間人。独ソに挟まれた平原の国であるが故の悲劇、国土は分割されモロ戦場となったことに加え、ナチによるホロコーストが主因だろう。
ドイツが日本の倍以上なこと、ユーゴやフィリピンが百万人強なことなどは知らなかったので驚きだった。
フランスは占領され戦場にもなった割には東欧のそれとの比較において少ないのは
何故だろう。パリ占領即降参がいつものパターンではあるが...。
いろいろな思いが去来するが、いずれにせよ各国ぞれぞれの犠牲者にはその数倍
から十数倍の遺族がいる。
彼らの心の傷を忖度するに、過去を水に流す、という素朴な日本的未来志向はおそらく世界標準ではないだろうと思う。(いの)

Musee de L'armee