フォンテーヌブローへ

1964年東京オリンピックの年にパリに留学していた2人の女性を主人公にした、
角田房子の「風の鳴る国境」という小説がある。
私が是非パリに住んでみたいと思った最初の動機ともなった小説である。その中で
鮮明に覚えていたのが、セーヌ川下流から上流へ流れているように見える場所が
あり、ピアニストを目指す主人公のひとりがある重大な決断をするとき、その流れに
運命をゆだねるというシーンだった。
そこだけはハッキリ覚えていたが、その場所がどこにあるかとか詳しいストーリーは
すっかり忘れていたので、5月に友人のF女史がパリに来る時に持って来てもらった。(本はもう絶版、アマゾンの古書で買って来てくれた) その場所はサモア・シュール・
セーヌ、フォンテーヌブローの森のそばである。そういえば、このフォンテーヌブローと
バルビゾンはパリから一泊で出張中の休暇で訪れたことのある場所だ。行かなければと思っているうちに時間がたち、森の木々を見る最後のチャンスともいうべき10月の
月曜の朝、晴れを確認した上でモンパルナスのアビス Avisで 24時間車を借りた。

小説の主人公は起こるはずのない逆流する河を見て、悪魔的な決断をし、そして破滅への道をたどるのだが、この日のセーヌは右から左へ、上流から下流へとちゃんと流れていた。

 
実名がでてくるレストラン・カントリークラブ。月曜日なので
休業。2台の車が、ランチをとろうとしたのか、やって来たが、
引き返していった。


それ以外、だ〜れも来ない静かな、ただセーヌ川が流れているだけの場所である。
気が済んだので、フォンテーヌブロー宮殿に向かう。
お城の正門の前にパーキングに運よく駐車できた。しかも、月曜日なので無料だった。
正面玄関の門。ナポレオンのNの字がある。

フォンテーヌブロー宮殿はフランス最大の城、1500室ある。
ロワールのシャンボール城を建立したフランソワ一世が現在の城のもとを造ったが、
その以前にもフランス王家の城としての歴史がある。アンリ四世から始まるブルボン家の王たちもヴェルサイユが造られる前はこの城で過ごすことが多かった。

舞踏会の間:フランソワ一世の時代に着工され、代々の王がここで華やかな祝宴や
祭典が催した。広間の入り口の上にある中二階に楽団が入りダンスの音楽が奏でられていた。
 
ルイ13世の間:1601年、この部屋で後のルイ13世となる王子が誕生した。
父のアンリ4世はそれを記念してこの部屋を豪華に改装した。

ディアナの回廊:アンリ四世の時代に王妃のために作られた部屋。
ナポレオン・ボナパルトが修復し、王政復古後にナポレオン三世が図書室に改造した。ナポレオン一世の蔵書約1万6千冊が所蔵されている

皇后の寝室:16世紀末から1870年までの歴代の王妃や皇后の寝室として
使用された部屋。

豪華な内装だが、落ち着きは感じられない。
マリー・アントワネット、ナポレオンの妻ジョセフィーヌ
などはここでゆっくり寝られたのだろうか。


ナポレオン一世もこの城を好んだ。彼が使用したふたつの部屋。
玉座の間:歴代国王の寝室であったが改装され、ナポレオンの玉座を置き儀式に
使われた。

 

皇帝の小寝室:3時間しか眠らなかったと言われるナポレオンは
執務机の後ろに仮眠のためのベッドを設置していた。
露営のテントのイメージだ。戦いに明け暮れた彼には
この様な簡易寝台風の方が落ち着いて眠れたのだろう。

三位一体の礼拝堂:王家の礼拝堂。国王・王妃は日課としてミサに出席していた。
装飾の主な部分はアンリ四世とルイ13世の時代のもの。

さすがにフランスを支配した帝王たちの居城だ。豪華絢爛という言葉がぴったり。
金ぴかの派手さではなく、フランス・ルネサンスの典雅さを伝えているのが、
ヴェルサイユとは違う。
天井の装飾も部屋ごとに工夫が凝らされている。

宮殿の見学を終えて庭園へ。庭園はフォンテーヌブローの森に続いている。
池越しにみるシャトー。

美しく黄色に変わった並木。



庭園を横切って大運河が展望できる懸河の池まで歩く。アンリ四世が掘削させた長さ
1200メートルにもおよぶもの。

城も庭園もフランスの華やかなりし頃を偲ばせる。ちんまりしているロワールの古城やきんきらきんのヴェルサイユより、フランスの城を見るなら、ここに来るべきだと思った。(とら)

10ユーロ (第一日曜は無料)
www.musee-chateau-fontainebleau.fr