アルザス小旅行 コルマールへ
ゴールデンウィークにパリに来てくれたS・F夫妻、すっかりパリが気に入ったらしく、
10月再訪、今度は一泊でアルザスへ行こうという事になった。
ストラスブールまでTGVそこからレンタカーという、いつものレール&レンタカー方式である。
パリ東駅8時25分発
ストラスブール駅10時44分着
S氏は以前ストラスブールに汽車で来て泊まって、コルマールに3泊したというが、駅に全く見覚えがないという。それもそのはず、旧駅舎は透明アクリルにすっぽり覆われていた。古い建築物保護の方法に感心した。
レンタカーは比較的スムーズに借り出せた。11時半にはストラスブールを出発して、
今回の目的グリューネバルトの「イーゼンハイムの祭壇画」を見るべく一路コルマールに向かう。70km位なので小一時間のドライブ。
コルマールに着いてまずランチ。
旧市街中央のブラッセリ―のテラスで本場のフラメンキッシュを食べて腹ごしらえ。
ピザに似ているがチーズを多用しないさっぱり味で腹にもたれない。
食後さっそくウンターリンデン美術館へ向かう。
ここは1232年に建てられたドミニコ派修道院を
改修したもので、パリの美術館を除くと年間
集客数でフランス随一というから驚く。
その理由は多くのキリスト磔刑にまつわる美術品が収蔵されていることだろうが目玉はイーゼンハイムの祭壇画だ。この絵を目的にフランスの内外から観光客が集まって
くる。仏語はもちろん、英米・独・伊語が飛びかうが、中国・韓国語は聞こえない。
この祭壇画を19年かけて模写した日本の画家柳井伊都岐をS氏は取材したことが
あり、その話からコルマール訪問となった。
複雑な構造を持つこの祭壇画は全部で9つの場面から構成されている。第一面は中央の「磔刑図」、左の聖セバスティアヌス、右の聖アントニウス、下にピエタの4場面。
第二面は中央の「キリスト降誕」、左の「受胎告知」、右の「キリストの復活」の3場面。
第三面は左の「聖アントニウスの聖パウロ訪問」右の「聖アントニウスの誘惑」の2場面である。
もともとはイーゼンハイム修道院付属の施療院の礼拝堂にあったものであり、制作されたのは1511年‐1515年頃。500年前のものとは思えない保存状態の良さだ。
第一面「磔刑の図」2階から見たところ。
磔刑図。
アップ 異様な迫力だ。柳井画伯が初めてこの絵を見た時放心状態に落ち入り、
気が付いたら6時間が過ぎていたとのエピソードに納得する。
ピエタ図(キリストの遺体を膝(ひざ)の上に抱き悲嘆に暮れている聖母マリアの姿を
表した礼拝図像のこと)。一番有名なのはミケランジェロだが、グリューネバルトは
ミケランジェロのおよそ15年後位にこの絵を描いている。ミケランジェロのピエタ像の
優美さと較べるとなんと凄惨な写実的というか現実はこうだったんだろう、と思わせる
ものがある。
第二面「受胎告知」
聖母マリアが田舎娘風に書かれているところが独特。急に天使が現れて、あなたは神のこどもを授かりました、と言われたらこんな
表情になるんだなという説得力がある。
すっかり心を奪われて、明日はこの祭壇画のあったというイーゼンハイム村へ行って
みようと提案するとら、早速同意するS氏に対して、時間があるならストラスブールの
大聖堂に行こうといういのとF女史。5月のヴェルダン行でもっと兵士たちの墓地へ
行こうというとら+S氏(=ひとつのテーマを極めようとするグループ)とランスの大聖堂を主張したいの+F女史(大聖堂観光派)にまた意見が分かれた。
結局また前回と同じで、帰りの列車までの時間配分などの現実を説く観光重視派の
言い分が通った。(とら)
Unterlinden museum
1 rue d'Unterlinden
68000 Colmar
www.musee-unterlinden.com