ストラスブール

仏語ストラスブール Strasbourg は独語シュトラースブルグStrassburg の変化である。言葉の意味は「街道の砦」。古来から交通の要衝だった町だ。
古代ローマ帝国はここに北東への備えとして砦を築き、ゲルマン民族の大移動以降は神聖ローマ帝国に属していたのでドイツ風が今でも色濃く残っている。
その後17世紀末にブルボン朝フランスに併合されたが、普仏戦争プロイセン領に
なったり、第一次大戦の結果またフランス領へ、ナチの侵攻で第二次大戦中はドイツ領に、ドイツが負けて以来のこの70年弱はフランスに帰属している。
またいつドイツが奪回するか、というようなことにならないように、と長年の独仏争奪戦に懲りた反省から欧州連合はスタートした訳で、その象徴として欧州議会はこの地にある。今ユーロ信任問題で欧州経済は揺れているが、多くの血の上に築かれた仏独基軸は当分揺るがないだろう。

コルマールからすんなりストラスブールに入り、旧市街の真ん中グーテンベルグ広場の地下駐車場にレンタカーを停め、市内散歩に出かけた。
ノートルダム大聖堂は町並みに没しその雄姿は意外に見えない。
時々建物の狭間から見える程度。

ふと街角を曲がると突然この巨大なカテドラルが
どんっと現われた時のオーッという感動は
大きいものがあった。


ヴォージュ山脈の砂岩で築かれた大聖堂は暖色系で落ち着いて見えるが、川に囲まれた旧市街は地盤が弱い上に、大きく造り過ぎたため建築強度の関係で尖塔は一つしか乗せられなかった、というのは偉そうな建物にしてはかわいい話ではある。

よく見るとキリスト磔刑や聖母子像などの彫り物が壁面の細々と並ぶ。
よくぞこれだけ、と感心するばかりだ。

薔薇窓。
 
建物が巨大なので、天井は高く、内部は広々としている。


ステンドグラスが上下に見えるが、上は内陣、下は外陣というか
側廊のもの。よそのカテドラルは狭く暗いが、ここは外部採光が
多く広いので明るい雰囲気を出している。


大聖堂を出て西へ10分も歩くとイル川から水を引いた運河にたどり着く。
このあたりはプチ・フランスと大仰な名で呼ばれ、白壁に黒い木組みのアルザス
建物が並ぶ散歩道となっている。
 
ぶらぶら歩いてクレベール像のある広場に来た。郷土の英雄クレベール将軍は大革命時代の軍人。エジプト遠征に従軍したが、機を見るに敏なナポレオン・ボナパルト
一年余りでさっさと帰国してしまい、後任の守将を務めたがその翌年1800年エジプトで暗殺されてしまう。

 


春のランス行と違いバタバタせずに車を返し、ストラスブール駅からTGVでパリへ戻った。


めでたし、めでたし、これでおしまい、と書いていた一昨日、封書が届いた。
開くとスピード違反の通知書だった。
「貴プジョーは某月某日何時何分、コルマールからストラースブールへ向かう高速道路で制限速度110km区間を121kmで走行。許容限度114kmをオーバーしたので罰金68ユーロ。ただし15日以内に支払えば45ユーロ。45日過ぎると180ユーロ」という無情なお手紙。
たった7kmオーバーでも隠しカメラは作動する。
今回のプジョーサイドブレーキ
ボタン式。最初その位置が分からず戸惑った。


春のロワールでのドライブで違反キップは2枚も頂いているので手続きの仕方も心得たもの。Tresor public(財務局)宛の小切手45ユーロを今日投函しました。(いの)