ペールラシューズ墓地 その二

ペールラシューズ墓地には歌手、俳優、ダンサーなど芸能人の墓も多い。

古くはアレクサンドル・デュマの戯曲の上演に助力したという名優タルマ。
フランス革命を支持し、ナポレオンとも親しかったというコメディフランセーズを担った
男優の墓のある通りはタルマ通り。今では知る人も少ないが墓は風格がある。
Talma Franoic-Joseph 1763-1826

女優の代表はサラ・ベルナール
19世紀の最も有名な女優と言われる彼女は私生児として生まれたが、最後は国葬で送られた。
Bernhardt Sarah 1844-1923


彼女は棺を寝台代わりにしていたというエピソードがあるが、
家だかベッドの幔幕だかに見立てた墓石の内に棺が
安置されている。

伝説的なダンサーだったイザドラ・ダンカンの遺灰は納骨堂のボックス式収納墓に
収められている。
ヴァネッサ・レッドグレイヴ主演の「裸足のイサドラ」という映画になったくらいドラマ
チックな人生だった。バーナード・ショーに「あなたの頭脳と私の肉体を持った子供が
生まれたらどんなにすばらしい事でしょう」と結婚を申し込んだら「私の肉体とあなたの頭脳を持った子供が生まれたら大変ですよ」と断られたというエピソードはあまりにも
有名だ。ニース近郊で、首にまいたスカーフが自動車の車輪に巻き込まれて死亡。
Duncan Isadora 1878-1927

彼女の墓前には本物のバレーシューズが供えられている。

郵便箱のように番号がふられているので探すのはだいぶ楽だった。


納骨堂は焼き場でもある。カトリック教会が法令で禁止していた火葬を認めたのが
1963年、土葬が一般的なフランスだが、パリでは火葬も増えている。

フランスでは骨も残さず、きれいに灰になるまで焼く。収納墓に遺灰は納められるが、ずら〜っと並んだボックスは壮観。

亡くなったのは1977年と比較的最近だが、すでに伝説の歌姫であるマリア・カラスの墓も納骨堂の地下にある。
20世紀最高のソプラノ歌手と言われたカラスは53歳でパリの自宅で死んだ。
Callas Maria 1923-1977
地下は薄暗く、探せるかなと思っていたら、先行していた同好のイタリア人夫婦が案内してくれた。

これも伝説のシャンソン歌手、エディット・ピアフ
Piaf Edith 1915-1963
ガション・ピアフ家の墓とあり、棺の横に「エディット・ピアフと呼ばれたランボウカス
夫人」と刻まれている。
47歳で癌のためニースで死去、彼女を看取ったのは今は同じ墓に眠る20歳下の夫
テオ・ランボウカスであった。葬儀にはこの庶民の歌姫を悼む人々が路上で葬列を
見送り、パリ中の商店が弔意を表して休業、喪に服した。墓地での葬儀には4万人
以上のファンで大混乱、パリの交通が完全にストップしたという。


ピアフに見出された後輩シャンソン歌手は多いがそのうちのひとり、イヴ・モンタン
ピアフの愛人でもあったし、マリリン・モンローとの恋の噂とかいろいろあった人だが、妻のシモーヌ・シニョレとは添い遂げた。しかし彼女の死の2年後38歳年下の女性と再婚、子供が生まれた。今は仲良く同じ墓に眠っている。再婚した女性はどこに眠る
のか? 誰がこの墓を建てたのだろうか?
Montand Yves 1921-1991

ジルベール・ベコーもピアフに見出されたシャンソン歌手のひとりだった。
ピアノの名手でもあった彼の墓には小さなピアノが。
地図を持って墓を探していると、地図を見せて欲しいと声をかけられることが多い。
若いカップルに地図をみせてあげて、誰の墓に行きたいのと聞いたら「セレブリティ」
という答え。それならジルベール・ベコーの墓がこの近くにあるよと教えてあげたら
喜んでいた。今の若者にも人気は衰えず。
Gilbert Becaud 1927-2001

しかし、芸能人の部一番人気の墓はこの人、ジム・モリソン。27歳でパリのアパートで急死したロックスターの墓は通りに面していないが、たくさんの人がいるのですぐ分る。
Morrison Jim 1943-1971

それぞれの華やかな生涯、その生涯の終わりの世話をした人を反映する墓、フランス人だけでなく国籍はいろいろだが、パリを愛し、フランス人に愛された人々の墓が立ち並ぶ。
納骨堂の収納式墓にはまだかなり空いている場所があったので、私もここに分骨してもらえないものだろうかと考え始めていた。(とら)