デュッセルドルフ・センチメンタルジャニー

通算10年住んでいたデュッセルドルフをパリにいる間に再訪したいと思っていたが、
ぎりぎりになって実現できた。
今年の誕生月からドイツの年金をもらえるらしいが、年金受給資格を得るほどの年月を過ごしたとは、思えば長いこと住んでいたものだ。
駐在していたころはもちろん日常なので風景写真など撮る気持ちも時間もなかったので、今回は思い出の写真作り、撮影主体の旅だ。

飛行機か列車か、どちらにするか考えたすえ、国際列車Thalysで行くことにした。
朝8時パリ北駅発、ブリュッセル〜ケルンを経由して約4時間、鉄道の旅である。
パリ・ケルン間がThalys。

往復ひとり一等車で140ユーロと
安い。そのうえ車中で朝食がでた。


ケルン駅着、ここでドイツ国鉄に乗り換える。

ケルン・デュッセルドルフ間は30分だが、
往復1等で40ユーロ。距離も時間も短いのにずいぶん高い。民営Thalysと国鉄の差だろうか。


デュッセルドルフ駅着。駐在中は車での移動が多かったせいか、駅周辺はそれほど
懐かしい風景ではないが昔と同じだった。

宿泊はなつかしのホテル・ニッコー。日本からのお客の送迎で数多く出入りしていた。泊まるのは初めてだ。当時は世界にチェーン展開していた日航ホテルだが、パリも
ノヴォテルになってしまったし、残っているのはここだけか。

荷物を置いて、約6年間住んでいたグルペロー通り9番地へ。


となりのオカマバーは健在な様子。

小パリと言われる目抜き通りケーニックス・アレーをそぞろ歩き、

父なるライン川

対岸のオーバーカッセル地区を望む。
欧州最大規模の日本人小・中学校があり
子供のいる家族の大半が住む地域だ。

日本人街と言われたインマーマン通りも日本経済の凋落=駐在員の減少により
景色が変わってきている。
老舗の「高木書店」は裏通りに移り、店はОCSがテイクオーバーしたようだ。

同じく老舗の日本料理店「日本館」はなくなり、日本人なら絶対入らない
スシ&グリルとの看板の店になっていた。

13年ぶりだ。第二の故郷と勝手に想い込んでいた町。
昔と同じ風景に懐かしさを覚え、見知らぬ景色に他人の町のよそよそしさを感じる。
奇妙で複雑な気分だ。おそらく最後の訪問になるだろう。しっかり眼に焼き付けて
おこう、と思った。(いの)