ウィーン・音楽会

9月の時はウィーン楽友会館でポリーニのピアノ演奏を聞いたが、舞台がほとんど見えない席だった。
舞台全体が見える席で楽友会館を本拠地にしているウィーン・フィルハーモニーの演奏を聴きたい、と前回ウィーン滞在中に11月公演の予約に挑戦した。

ウィーンフィルの事務所に行ったが、定期演奏会は楽友でないとむずかしいが、11月はアンドリス・ネルソンス指揮でチャイコフスキーの「悲愴」の特別公演会があるので、これにトライしてはと助言された。公演会を仕切る楽友会館のチケットオフィスに行ったが、非楽友への予約はまだ開始していない、ネットで申し込んでねと言われる。
一方この9月の時点でオペラ座の方は順調に予約が出来ていた。パリに戻ってから、ウィーン交響楽団ウィーンフィル、両方の予約が取れ、11月は都合音楽会2回に
オペラ2回という音楽三昧のウィーン再訪の旅となった。

バーデンからウィーンへはバーデン電車と呼ばれる2両編成の路面電車で約1時間、ちょうどオペラ座の前が終点だ。
出発したのは夕方5時、もう電車の外は暗い。郊外からウィーンに夜遊びに行く若者達と乗り合わせたが、今流行していると思われる彼らの髪型はパリや東京ではついぞ
見かけない、チックで固めたジェームス・ディーンを彷彿とさせる1960年代型のようでおかしい。おもわず、じろじろ見てしまう。

翌日からはウィーン泊まりなので、オペラ座で着る着物、ホテルで食べる食料などの
荷物の一部をまず、前回から我々の定宿となったオペラ座と楽友会館の間にある
アパートメント・ホテルに預ける。
更に前回もオペラの後に行った、日本居酒屋を予約。
準備万端整えて楽友会館ホールへ向かう。
パリだとコートをホール内に持ち
込めるが、ウィーンではコートは
ワードローブに預けなければ
入れてくれない。

今年で創立200周年を迎える黄金のホール。

オバサンたち、同級生か。

最初はベートーヴェン交響曲第4番」。ウィーンで聞くベートーヴェンはまた一段の
感慨がある。休憩をはさんで、リヒャルト・シュトラウス「薔薇の騎士」組曲
ラヴェル舞踏詩「ラ・ヴァルス」。ベートーヴェンにもまして大音響の演奏、このホールの音響は素晴らしい。
今日の指揮者は南仏生まれ、ジョルジュ・プレートル
1924年生まれだから90歳近いはずだが、力強い指揮だった。演奏後、彼は聴衆に何度も手を振った。お別れのサインだろうか、観客も惜しみない拍手を送る。

公演後の居酒屋。店内を流れる音楽は北島三郎
全身で音楽を聴いた後のこの空気のような感じが良い。

食事はさぬきぶっかけうどん


クラシックの後はこれですよ!


11時を過ぎたので、タクシーで帰る。ホテル到着時のメーターは39.2ユーロだった
ので40ユーロ出すとナイン、60ユーロだと言う。帰りのカラ車保障ということらしいが
承服できず暫くやりあったが、不審ならホテルに聞いてくれという。もちろんそうした。
フロントの説明によると、ウィーンのタクシーでゾーン外のバーデンまで来るとメーターの倍が普通とのことで、すなわち80ユーロとなる。
すぐ要求通りの満額60ユーロを支払い、円満に別れた。正直な運ちゃんだったようだ。

楽友会館2回目、念願のウィーンフィル公演は滞在最終日の昼間のマチネーだった。
三々五々参集して来るご楽友たち。

昼間はますます金色の輝きが増すようだ。

ホールの天井。

ここのモーツアルト銅像も金色がかって見える。

シャンデリアも豪華。

前回の指揮者は高齢だったが、今回のアンドリス・ネルソンスはスラブ系でまだ34歳の若手。年齢的には対照的なふたりの指揮を楽しむことができた。
前半がワーグナー「ローエングリーン」から数曲。休憩をはさんで、チャイコフスキー
交響曲第6番「悲愴」。印象的にはプレートル指揮の方が深みが感じられた。

2階席から拍手を送る人々

演奏はもちろんウィーンフィルも良かったが、先のウィーン交響楽団も決して負けては
いなかった。
音楽に関しては、ウィーンは確実にパリの上を行くと思う。(とら)