冬のベルリン

冬のベルリンへ。ドイツの大地は先の寒波での雪に覆われている。
 
ベルリン・テーゲル空港は小雪混じりの天気。
気温マイナス5度。ここで事件が! 
パリで預けたバッグが出てこない


結局38時間後にホテルに届けられたが、バッグの中にはこの日飲もうと持参した
赤ワインやとらの芝居見物用の着物が入っていたので予定は大幅に狂った。

ベルリンといえばブランデンブルグ門。まず最初に向かった。
クリスマスツリーが飾られていた。
我々の年代にとって1961年の「ベルリンの壁」は歴史ではなく同時代の出来事だ。当時の東独政府が国民流出を防ぐため突如壁というか巨大な塀を建設。この門の前を壁が通る形となり、ある日から突然門をくぐった通行が出来なくなってしまうという理不尽さ。今、この門を通れるということは自由である、と実感する。
この門はプロイセンのフリ−ドリッヒ2世時代の1791年完成。その直後ナポレオン・
ボナパルトによりベルリンは征服され、ブランデンブルク門はナポレオンのパレードの
舞台となる皮肉があり、門の上の女神ヴィクトリア像はフランスへ戦利品として持ち
去られた。ところが後のナポレオン戦争により今度はプロイセン軍がパリを占領すると、ヴィクトリア像は再度ベルリンに持ち帰られ門の上に
戻された。

目抜き通りウンター・リンデンへ向かう東側正門。
 
門の裏、西側。

門の上、四頭立ての馬車(クアドリガ)に乗った勝利の女神ヴィクトリア像。

門を抜けブンデスターク(ドイツ連邦議会)へ向かう途中に小さな人工池があった。
そばに欧州各国語で「国家社会主義の名のもとに殺戮された男女・子供、その数50万人のジプシー(ロマ)のメモリアル」と書かれている。
いっぺんに観光気分が吹っ飛ぶ。 

ドイツ連邦議会正面。メルケル首相活躍の場。

円柱の上には「(我々は)ドイツ国民に(奉仕する)」とある。

議会前広場の向こうにはティアガルテンの森が広がる。

議会の裏の運河沿いのカフェは
雪のためクローズ。
 
 
議会裏手の風景。運河には警察の舟艇がパトロール

ベルリン市庁舎。

ブリューゲルの絵を連想させる雪景色。

これぞ本家ベルリン馬車か。

荘厳なベルリン大聖堂(遠景はテレビ塔)。

ドイツ統一を成し遂げたホーエンツォレルン王家の記念教会だが、 ヴィルヘルム二世時代の1905年に建て替えられ現在に至っている。
なお第一次世界大戦で敗北後、ヴィルヘルム二世は亡命しホーエンツォレルン家の
ドイツ支配は幕を閉じたが、彼の子孫は現在ドイツで生活しているそうな。(いの)