ワルシャワ観光

ワルシャワ滞在中はほとんどが曇りか雨で、日照時間は滞在中累計で5〜6時間
程度だったろうか。
ショパコン午前の部終了はだいたい14時半近くになる。
朝からも雨が上がり、このチャンスに、と急いで戻り革靴を運動靴に履き替え旧市街へと向かう。
中央駅近くのアパートからコンサートホールの裏手を抜け旧市街へのとば口までは20分ほど。

まずポーランド科学アカデミーを背景にしたコペルニクス像。
彼は古都クラクフ出身なのにワルシャワで顕彰されているのはなぜか、
語るまでもないだろう。

その先にあるのが聖十字架教会。
ショパンの心臓が本堂手前の石柱の下に埋葬されたことで有名だ。

この通りはワルシャワで一番カフェやピザなどの軽食店が軒を
並べている人通りの多いところだ。
通りを歩く大半が観光客だが、周辺には大学等が散在し若者も
多く見かける。

しばらく行くと右手に懐かしのホテル・ブリストルが。
5年前のショパコンではこのホテルから通った。

その隣に隣接するのが大統領官邸。ライオン像と武装兵士で守られている。
19世紀初頭のワルシャワ公国時代はラジヴィウ宮殿と称し、ショパン11歳の時の演奏会はここで開かれた。

そして旧市街入り口の広場に至る。ワルシャワ一番の観光スポットだ。

広場の中央から睥睨するのはジグムント3世像。

17世紀初頭首都をクラクフからワルシャワへ遷都した王様だ。
この国は古くからゲルマン、バルト、スラブなどからの流入による
摩擦からか、12世紀頃から内戦が続き、分裂・統合を繰り返した
あげく18世紀にロシア、プロイセンオーストリアの周辺三強国に
より分割され国家は消滅する。

フランス革命ナポレオン戦争と続く激動の時代にポーランドプロイセンから独立しワルシャワ公国となる。ショパンが生まれたのはこの頃。ナポレオン失脚後ロシア
帝国の支配が強まる中、1831年11月のワルシャワ蜂起でポーランドは真の独立を求めるが、ロシア軍に鎮圧され、逆にロシアに併合された。この間フランスで音楽活動をしていたショパンは一度も帰国すること叶わず、若くしてパリで客死する。
このあたりの時代背景が、ショパンのピアノへ祖国へのパッションを吹き込んでいる。

城壁の一部や

17世紀に造られた王宮などが並び

旧市街の街並みへと入っていく。

この石畳を含め、全てが当時のものではなく先の大戦後に再建されたものだ
ということに驚く。
 この国は第一次大戦後の1918年共和国として再建されたのもつかの間、1939年ナチ独軍の侵攻を受けドイツ、
ソビエトにより東西に分割され再度国家は消滅。

ソ連占領地区からは100万人がシベリアへ抑留されたとか。カチンの森虐殺事件もこの頃起こった。
余談だがこの国はユダヤ人に比較的寛容であったため当時ユダヤ人は300万人を超えていた。それが災いしたのだろうか、その90%がナチにより殺された。この時代の犠牲者のスケールはソ連も含め膨大なものでありため息しか出ない。

第二次大戦末期ソビエト赤軍ワルシャワに迫ると、それに呼応すべく市民の武装蜂起が起こるがドイツ軍に弾圧され失敗に終わる。この時の犠牲者は当時の人口の1/4、20万人といわれる。鎮圧後徹底した町の破壊は続き、市民は強制移住させられ、終戦時の人口は数千人だったという悲惨さである。

観光客が来ない旧市街の裏側、普通の住宅地へとの境目あたりに当時の惨状を
伝える建物がひっそりと残されていた。
ポーランド銀行の残骸。1941年独軍空爆と44年の蜂起により破壊される。
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1944年9月との銘板が貼られている

横手の壁の多くの弾痕が生々しい。

王宮脇の眺望台から眼下望む。この道路の先にヴィスワ川が流れている。
その対岸まで赤軍は迫っていたのにドイツ軍の蜂起鎮圧を見ていただけだった。
ワルシャワ市民の無念さに想いがいく。

なおこの旧市街の再建は1971年にやっと始まる。それまでソ連が許さなかった
のだ。当時残されていた資料や写真をもとに、できるだけの瓦礫、残骸を使い3年かけて復元した、その執念もまた日本人にはない凄さを感じる。(いの)

追記) ポーランド語で書かれた文字から意味の類推は不可能だという点では
アラビア語やハングル文字といい勝負である。また英語も通じない。
ある時食料品店で自分と同年代とおぼしき店主に英語でモノを尋ねたが通じない。再度ドイツ語で話しかけたら激しい言葉(もちろんサッパリ分からないが)で怒られた。ドイツ語がいけなかったようだ。
ここに歴史を感じた。ドイツへはいい記憶がない。
一方戦後衛星国として事実上ソ連の配下であったポーランド人民共和国が、ワレサの連帯蜂起を経て、1989年ポーランド共和国へと真の独立を果たすまで敵性英語を学ぶ機会はあまりなかったと思う。そのためか中年以降の人とはほどんど会話が成り立たなかったのは残念である。