モンマルトル墓地

パリほど墓地が観光地化している都市はないと思う。
3大墓地と呼ばれる19世紀初頭にできたペール・ラシューズ、モンパルナス、
モンマルトルに多くの有名人の墓がまとまってあるからかもしれない。

モンマルトル墓地は3年前のパリ滞在で行き残したところ。

他の二つの墓地に比べて少し小さい。
それでも11ヘクタールある。

今日の墓碑探索の主目標はアレクサンダー・デュマ・フィス(大デュマの息子)と、
彼の愛人で代表作「椿姫」のモデルでもあるマリー・デュプレシの墓。

わりと簡単に見つかったデュマの墓は立派だが、

死体を見ているようで不気味だ。

墓の天井に記された墓碑は

本人が天井を見ながらつぶやいている言葉のように見える。
何を語っているのだろう?


威張っているのか、悔やんでいるのか、興味を覚えるが
仏文読解できないので誰か教えて。

椿姫マリー(23歳で没)の墓は、彼女の本名が彫られていたため発見に
手間取った。

墓の全面に肖像画が貼られていたので見つけることができた。

ふたりの墓は300メートルぐらい離れたところにある。




小説では、デュマ自身がモデルの主人公が椿姫(マルグリット)の死に間に合わず、どうしても死んだことが信じられなくて、一目会いたいと永久墓地に埋葬し直すという口実の下、彼女の遺体を掘り起こす。変わり果てた椿姫の姿にアルマンは発狂寸前となり、脳膜炎で倒れてしまう。やっと回復した彼が語り始める物語がこの小説という筋立て。
事実は、マリーの遺体をこのモンパルナス墓地に埋めなおしたのはデュマではないし、もちろん遺体も掘り起こしてはいない。
しかしマリーの死の約50年後、死期を迎えたデュマはファミリーの墓でなく、
モンパルナス墓地に埋葬して欲しいと遺言した。
アカデミー・フランセーズ入りをして、功成り名とげた晩年だったが、処女作である
「椿姫」には特別な愛着があったのだろう。
その最後を自分のフィクションに近い形にしたかったというのは考え過ぎだろうか? 

ハイネの墓もここにある。
ドイツでの政治・社会活動により目をつけられていた彼はデュッセルドルフからパリへの移住を余儀なくされる。
ショパン、リストなどと交流した華やかな時代もあったが、晩年は健康に恵まれず、
半身不随となり、59歳でなくなった。

墓碑に刻まれている詩。

客死を予感していたのでは、と匂わせる詩だ。
誰か原典をご存知ですか?

スタンダールの墓 

墓碑には本名が書かれているので、きわめて探しにくい。スタンダールペンネームだとは初めて知った。
墓碑銘は「ミラノ人アッリゴ・ベイレ 書いた 愛した 生きた」
彼も59歳で亡くなっている。しかし死因はパリ街頭での脳出血、ハイネより14歳
年上だが同時代人といえるだろう。

他の著名人としては画家のギュスタヴ・モロー、ドガゴンクール賞に名を残す
ゴンクール兄弟、バレーのニジンスキー、作曲家ベルリオーズ、映画監督
トリュフォー、日本人画家でパリで客死した荻須高徳の墓もあるそうだが、
この日は冬時間に変わったばかりで昨日の13時が今の12時。
時計は一時間ずれたが腹時計は変わらず、お腹が空いたので墓巡りは中止し
クリシー広場へ降りて行った。(とら)