とあるエピソード

フランスでは月曜日が日曜日。美術館や商店など多くの店が休む。
ランチを食べに下手に遠出し空振りとなると面倒。
アパートから100M位の近さなのに今までいったことがなく、店の名が奇抜なため
気になっていた店をのぞくと営業していた。
店の名は「南西地方の宿屋の親父、パパ」という。
看板のバスク風の帽子をかぶったのが髭面パパ。

けっこう客の入りがいい。

店の向いはモンパルナス墓地。

生ハムのサラダと鴨のグラタン、それにオムレツを、と注文すると、ダメダメ
多過ぎる、オムレツはやめな、とは髭の親父ならぬ若い兄ちゃん店員のアドバイス
とらはオムレツが食べたかったのに、と不満そうだったが言い返す語学力がないので仕方がない。

出てきたのはたっぷり2人前はありそうな鍋に熱々のチーズたっぷりの一品。

割ってみると底まで全部ジャガイモとチーズのミルフィーユ。鴨はてっぺんに鎮座。

とらのサラダもハムや野菜はお愛想程度で、掘れども掘れどもジャガイモばかり。
これじゃポテトサラダと言って欲しい、とブツブツ。

二人とも、当分イモは見たくない、と食傷気味で店を後にした。

満腹なので上を向きながら戻ると、我がアパートの壁上方に銘板が貼ってあることに初めて気付いた。


「ここにレジョン・ドヌール勲章の飛行士マリーズ・バスティエが住んでいた」と
刻まれている。


このアパートに偉人が住んでいたことを知り素直に感激。
調べると彼女はモンパルナス墓地に葬られていることが分かり、さっそく腹ごなしを兼ね墓探しに出掛けた。


枯れ葉の最盛期、落ち葉は車道に掃き出され、車がまき散らす。

最近午後が快晴の日が続いている。

墓は簡単に特定できた。墓地正門からの道の左側にあった。

マリーズ・バスティエは1930年代に活躍した女性飛行士だった。
滞空時間、飛行距離、最短時間での南大西洋単独横断などの記録を持つ。
仏空軍で大尉にまで昇りレジョンドヌール勲章を授かったが、1952年リヨンで
離陸時の事故で死亡。

切手にもなったヒロインだった。


時は違えど同じ空間を共有した人の墓参りができ、ますますこの墓地が
好きになってきました。(いの)

以下3枚はその時のスナップです。