ショパンコンクール その3

決勝の日は雨だった。
こちらの人は雨でも傘をささない人もいるが、けっこうな降りである。

雨が大嫌いな、いのは行かないというので、ひとりでショパコン会場に向かう。
灯りがともり始めていた。

← ショパコンの公式ロゴ




開演前1時間半というのにもう200人ぐらいの列ができている。
チケットがでるぎりぎりの線かなと列の最後に並ぶ。
すると「ここが列の最後?」と英語で声をかけてきたポーランド人女性が。
「はい」「あなたはどこから来たの」と会話が始まった。
1時間以上もひとりで並ぶのは退屈だなと思っていたので好都合である。

話してみると、子供のころピアノを習っていたが、今はやめていること、ショパン
一番簡単な曲がかろうじて弾けることなど共通点が多く親近感を持った。
昔はこんなに並ばなくてもチケットがとれた、というので、コアな日本人は1年半前
から全日程通しの券を買っていると告げると、それは私も知っているが、4千ズウォティするのよね、私の一か月分の給料と同じ、とても手が出ないという。
そこから彼女は教師であるとの話になり、音楽の先生?と聞くと英語の先生であるという。英語がうまいわけだ。教師の給料は安い、日本ではどうかと質問されたので、給与はともかく教師は休暇が多いのでいい職業だと思うと答える。
休みの長さの話となり、一般の日本人労働者は夏休みは1週間と聞いて彼女は
びっくり「それは休暇とはいえない、日本人かわいそう」。

などと話しているうちに1時間が過ぎ5時半になって開場してもチケットは販売されない。彼女が聞くと15分前から売るとのこと、200人にチケットを売るにはどう考えても30分はかかる、それでは一番最初に演奏する私の一押しチョ・ソンジンが聞けない。2番目のぐらいからは席が確保されるかもしれないが、テレビ観戦しかないと
きっぱりあきらめ、またいつかこの会場であえたらいいねと彼女に別れを告げ、
大急ぎでアパートに戻る。

なんとか間に合った。

演奏は期待通り素晴らしいものだった。
硬質でクリアな音がポリーニを思わせる。
11月23日の東京での凱旋公演は大阪での文楽と日程がかぶっているので
行けないが、ソウルでの凱旋公演にはなんとか行けないものか、妄想のなかでは
もうこの人は入賞すると決めてかかっている。

指揮はもちろんワルシャワフィルのヤチェク・カスプシク

二番手はクロアチアのアリョーシャ・ユリニック
26歳とファイナリストのなかでは最年長、チョ・ソンジンは21歳だから5歳違う。
このころの5歳の差って大きいよね、大学3年と入社4年目、のほほんと学生生活を送っていた時と入社して激務?に巻き込まれていたころ。






そしていよいよ日本期待の小林愛実さん。

3次の時の固さがとれ、のびやかに弾き切った。

テレビ観戦がコンサート会場よりいい点はたくさんあるが
その1:演奏者の表情、指使いなどがクロースアップで見えること(これはビジュアル重視のいのには重要)
その2:好きな時にトイレに行けること
その3:飲み食いしながら見れること
コンサート会場の帰りに駅のキオスクで買ったサラダに、玉ねぎ、きゅうり、トマトと、残りのスモークサーモンを載せたものと手抜きの夕食だが、ビール、ウォッカ
オレンジジュース割、ウィスキーにワインと飲み物は豊富。

最後は速報評論で絶賛されていたケート・リュウ



今日は全員協奏曲1番だった。
明日はとら注目のラトビアのゲオルギス・オトキンズとカナダのシャルル・リカルド・
アムランが出場する。オトキンズの1番聞いてみたい、アムランの選曲は珍しい
2番、どんな風に弾くんだろう? 
しかし、パリまでのフライトの確認メールは届き、空港までのタクシーは12時に
予約されている。
心を残してワルシャワを去るしかない。(とら)

ショパンコンクールその2


今回の応募者445名から優勝者決定までの流れは以下の通りである。
1)書類・DVDによる審査    選抜された152名が本年3月に発表され
2)予備予選       4月13日から順次召集され実技テストがあり81名が
25日に選ばれた。
こうしていよいよサドンデスの本選が始まる。
3)一次予選 10月3〜7日 課題曲のエチュードノクターン、バラード、スエルツォなどから4曲選び演奏。
4)二次予選 9〜12日 一次予選通過者は43名。課題曲のバラード、スケルツォ ポロネーズ、ワルツなどから4曲。 
5)三次予選 10月14日〜16日 (ここを聴くため我らは日本から来たのだ)
二次予選を通過した20名は課題曲、ソナタ2番、ソナタ3番ロ短調 前奏曲全24曲、マズルカなどから各自で構成し時間配分50〜60分で演奏する。技量と選曲のマッチング、約一時間連続演奏する精密さとタフさが求められる。
6)ファイナル 10月18日(日)〜20日(火) 協奏曲1番か2番を選び、オーケストラと共演
優勝者発表は20日の演奏完了後その日の内に行われる。過去には選考が長引き深夜になることもあったとか。
以上のように、後になればなるほど難曲となり、本選出場者は1次から決勝までの演奏曲目を事前申請し、予備選合格後6か月の猛練習で仕上げ、過酷なトーナメントを勝ち抜くべくワルシャワに集合してきているのである。

本選に選ばれた81名の出身国は,地元ポーランド15名は当然として、中国14名、日本12名、韓国9名とアジア勢が続く。国籍はアメリカやカナダでも東洋系の人達も入れると、日中韓で全体の半数近くに迫る勢いだ。

我々がとれたチケットは三次予選の初日午前の部、2日目は午前・午後の部、最終日午前の部の4回。それぞれ値段も場所も違う。初日は一番高い130ズウォティ(4,500円ぐらい)、一階の2ブロック目の最前列。隣に座ったピアノの先生だという日本女性と話をすると、彼女は全日程通しの券を1年半前から約14万円で予約していたという。
後日仲良くなった別の日本女性に聞くと(この方もピアノの先生)、日本ピアノ教師連盟のようなものがあってそこから大量の日本人が入れ替わり立ち代わり来ているとのこと。大部分の人たちが出場者と同門の先輩、ピアノをやる娘の親とか先生などでお互い顔見知りが多いようである。

初日2番目に出場した背番号10番の韓国人、チョ・ソンジンの演奏にとらは大感激。

力が抜けて終わった後しばらく立てなかった。
すごいと思ったが、これはとらに全く予備知識がないからでなんとチャイコフスキーコンクールの入賞者で下馬評では今回優勝候補のひとりとか。

演奏される曲のおそらくすべてを暗譜で弾けるようなピアノ関係の日本人聴衆に交じって、予備知識ゼロのいのととらは恐れげもなく「マズルカは楽しく弾かなきゃ」とか「かったるい演奏だな」とか勝手な感想を述べあい、各国の天才少年、天才少女も顔色なしである。しかしやはりレベルはメチャクチャ高い。

三次予選通過者20名のうち15名の演奏を生で聞いたわけだが密度の濃い時間だった。マズルカとか葬送行進曲付きソナタとか同じ曲も多かったが、それぞれ自分の持ち味をアピールするその他の選曲にバラエティがあった。改めてショパンのすごさを認識した。ひとりの作曲家の作品だけという縛りで、これだけもたせられるのはショパンのほかにはかろうじてモーツアルトか。

最年少は16歳、最年長でも26歳という演奏者だが、やはり若い人は危なげもあるがフレッシュでインパクトがある。一方、年長者は円熟というかゆとりが感じられる。
この中から半分の10名がファイナルに進む。優勝者を予想するのは難しいが、とらの評価は10番の韓国のチョ・ソンジン、53番ラトビアのゲオルギス・オトキンズ、59番カナダのシャルル・リカルド・アムラン。そのほか配られる日報で「デーモンが降りてきた」と高く評価された、34番のアメリカ国籍中国系ケイト・リュウ、74番最年少16歳の中国系カナダ人トニー・ヤンなど誰が優勝してもおかしくないと思う。
チョ・ソンジン

ゲオルギス・オトキンズ

シャルル・リカルド・アムラン

三次予選が終わった日の午後10時にファイナル出場者の発表があった。
上記5人はすべて残った。嬉しいことに日本からの27番小林愛実さんも三次予選を通過。5年前の前回日本勢は3次までにも進めなかったことを思うと快挙だ。

審査員席風景。ダン・タイ・ソンは居眠り? アルゲリッチ海老彰子、ヤシンスキが並ぶ。審査員席は2日目の我々の席から見えた。

3日間の座席の位置は
1日目1階真ん中

2日目2階席

3日目1階後ろ隅っこ

これから決勝の当日券に並びます。(とら)

ワルシャワのアパート

ショパンコンクールへ行こうと決めた時、最初に確保したのはアパートメンントホテルだった。
夕方の部の演奏が終わるのは8時半近くで、その後食事に行くと9時頃になる。
ワルシャワのレストランは閉店が早く、もう台所の火を落としているところも多い。
ポーランド料理はグーラッシュ系のスープ、焼いた肉やソーセージ、餃子タイプのようなものぐらいでバリエーションが少なく、我々の好きな生野菜にはドレッシングが
どっさりかかっているのが大部分。ちなみにサラダ系の野菜でもなぜか固めで、
歯ごたえ十分。
大好きな京都旅行でも自炊しているとらはホテルでの自炊が全く苦にならないので、3泊以上の宿泊はキッチン付きの部屋を選ぶことが多い。
安上がりだし、好きなワインも値段を気にせずに飲めるし、酔っぱらった後も夜道を歩いて帰らなくても良い。いいことづくめである。

BOOKING.COMで予約したアパートはショパコン会場から歩いて10分ぐらい、地下鉄中央駅から歩いて5分という町の中心。
空港からタクシーで到着すると予定時間より30分ぐらい早かったので、待ち合わせているオーナーはまだ来ていなかった。

門番のおじさんにボディランゲージを駆使して門の中に入れて
くれるよう頼み、中庭でオーナーの到着を待つ。
セキュリティは万全だ。


このビルは6階建て。中庭の奥に建っているので静か

外国でアパートを選ぶ基準は
1.建物としてはエレベータがあること
2.設備としてはシャワーだけでなくバスタブがあること
3.場所としては夜ひとりでも歩けるくらい人通りがあるが静かな場所
今回は事前現地リサーチをしているわけではないからロケーションは勘で選んだ。

まずバスタブをチェック

ベッドはちょっと小さいがОK。

びっくりしたのがクローゼット 90センチの長さの傘と比べてください。
いのが手を伸ばしてもハンガー掛けまであと10センチ届かない。

さっそくテレビでもとリモコン操作をするが、全然映らない。
オーナーに連絡して使い方を教えてもらう。しかし新しい機種なのでオーナーもよく
わからないらしく、アシスタントの女性を呼ぶ。1時間ぐらいのトライ&エラーの結果、やっとテレビは見れるようになった。しかしCDはいろいろ操作しても何故かテレビと音声がかぶる。
ということで、日本から持ってきたポリーニショパンを聴くのはあきらめた。

テレビをつけるとちょうど2次予選の最終演者、アリシマ・ミヤコが演奏中
(コマーシャルなしで完全生中継)だった。

なお翌日の記事には「彼女の演奏は記憶にほとんど残らなかった」との激辛評。
彼女は3次へは進めなかった。(とら)

ショパンコンクール その1


2015年、年初からショパン・コンクール(以下ショパコン)行きの予定を立て始めた。
とらにとってオリンピックより重大なイベントなショパコンは5年に一度開催される。

前回2010年に初めて行き、若きピアニスト達の(完成されたプロにはない)真剣さや情熱のほとばしりに感激し、次の2015年にはまた絶対行こうと思った。しかも入場料は、東京で一流のプロのリサイタルへ行くより圧倒的に安い(一人だけを聴くなら単価は千円以下)!
子供のころからピアノを習っていたとらの憧れのコンクールで、1960年にポリーニが優勝した時や、1980年に東洋人として初めてダン・タイ・ソンが優勝した時などをしっかり覚えている。

ショパンコンクールショパンの命日、10月17日の前後3週間に開催される国際的なピアノコンクール。
出場者には年齢制限があり16歳以上30歳まで。
世界を目指す若きピアニストの登竜門である。
演奏する課題曲はショパンの作品のみとなっており、エチュードソナタ、幻想曲、
ワルツ、ノクターン、協奏曲など。 本審査は、一次予選、二次予選、三次予選そして
ファイナルの4段階で構成されており、敗者復活なしの一発勝負、まさにピアノの
甲子園である。

今回の日程は10月2日〜20日までの19日間。全部聴くのはいかになんでも長すぎるので、二次予選から始めて三次予選を中心に聴き、ファイナルを1日だけ見るといった予定を立てた。これでもワルシャワ8泊になる。

昨年から「来年はショパンコンクールの年ですね。一緒に行きましょう」と話し合っていた音楽好きのご夫妻(夫はチェロ、妻はピアノのプレイヤー)と本年1月に最初の打ち合わせを行い、上記8泊の日程を確認、「甲子園でいえば準々決勝の前、ベスト8が出揃う前を中心にということか」などと盛り上がり、さっそくワルシャワにアパート
メントホテルを予約した。前回行ったときチケットはポーランド語のできる知人にお願いしてスムーズにとれたので全く心配していなかった。

ところが、4月になってチケットをお願いしたところ、親の介護等で超多忙のため今回は協力できないと断られてしまった。
あせって事務局に連絡すると、全てのチケットは売り切れ、前回は空席もちらほらあったはず、6か月前に売り切れはないでしょう、といろいろなコネを使って確認するも、とにかくホームページでの再売り出し告示を待つしかないという厳しい状況であることが分かった。

その後、返品されたチケットの再売り出しは9月1日と発表された。
ご夫妻はあきらめてもう他の予定を入れてしまったとのことだったので、自分たちの分だけとにかく頑張ることにした。
窓口販売は現地時間の10時開始とあったので、予約しているアパートメントホテルに電話しチケットを買ってほしいと頼み込んだ。オーナーはさっそく見に行ってくれたが、もう行列がすごい、自分も仕事があるので列に並ぶことはできないとのコールバックがあった。
その日の現地時間19時からインターネット予約開始、これは日本時間だと深夜2時である。クレジットカードを脇に置いて、準備万端でパソコンの前に1時半に座った。

決勝は売り切れだったが、三次予選の4回分の席をゲットすることができた。計8枚の切符代金は約2万3千円、もし行けない場合でも最悪これだけの損害である。

それから日程調整、パリのアパートやホテルの予約、航空券の手配と大忙しである。
ほかにも今後の生活を左右する重要な局面を迎えている案件を抱えており、次回2020年にしようかとの話も出たが、5年後は生きているかも分からない。
今できることは今やろうという、いのとらの人生の方針に従って決行、今ワルシャワにいます。(とら)

ワルシャワへ

さていよいよ今回の欧州旅行のメイン、ワルシャワ行きは日曜の昼便であった。
電車は空いており、10時半にはシャルル・ド・ゴール空港ターミナル2−Fに着く。
ここだけでナリタ並の規模だからターミナル1との総体では10倍くらいだろうか。
コンコースの外ではと羊が草を食んでいる。さすが牧畜農業大国だ。

空港は大混雑。我々の荷物カウンターの隣のゾーンにはカバンが山積み。
これらは「紛失荷物」なのかと思うとカバンを預けるのが不安になる。

大きなトランクを預けるべくチェックインカウンターに行こうとすると
空港の職員に制止され

チケットは?と聞かれ戸惑う。

座席の予約チケットを見せると
預けるトランクのチケット
(我々の言葉では荷物タグ)を
用意してね、とのこと。

座席予約機と思っていた登録機で、カバンの個数情報を入力、タグをプリントし、
それを持ってカウンターへ行き、職員がカバンに張りつけるというシステムであった。
ワルシャワへのフライトは2時間。眼下には広大なポーランド平原が。

次第に高度を下げていく。

いよいよ着陸だ。

ローマは「レオナルド・ダビンチ」、NYは「ジョン・F・ケネディ」、パリは
シャルル・ド・ゴール」、では成田の愛称は?

ワルシャワは「フレデリック・ショパン」空港なのだ。
そう、今回ショパン・コンクールを見る(聴く?)ために
はるばるやって来ました。
ショパ・コンとは5年に一度開催され、若きピアニスト達の
登龍門。その詳細はとらが後述します。


突然ですが、この漫画「ピアノの森」はショパ・コンを目指す若者を描いた感動作。皆さんに読んで欲しく、あえて紹介します。
主人公の成長とショパン・コンクール終了まででなんと単行本で
全24巻の大作。読んでいると自然と涙がダダ漏れ、泣けます。
その後を描いて現在も『モーニング』で連載中であります。(いの)

土曜日のご飯

ブローニュの森・バガテル公園からのバスは北駅行きだった。
パリの西のはずれから北東方面を東へ町を横切る路線で、どこで降りるかは
決めずに、しばらく街並みを見物して行くことを決めた。
安上がりな市内観光バスの旅だ。

20分ほど乗った頃だろうか、教会の鐘が鳴りだした。お昼である。
喉が渇いていることが急に気になりだした。

バスはちょうど凱旋門の北、テルネに来ていたのでここで飛び降り、
広場前の大きなレストランに入り、とりあえずビール(€ 6)!



ここの料理は薄味で予想外に美味しかった。
とらはサーモン・ステーキ(€ 26.5)。バター控えめなところを評価。

いのは子牛のステーキ、デミグラソース(€ 28.9)。小さな円筒形のポテトもグッド!

いのは食い物の話ばかりだ!との声があるようなので夕飯は小さく;
ポテトのピリ辛炒め

  水餃子

  牛煮込み汁麺

イタリー広場から北に駅ひとつ行ったところにある、予約など受けない山東料理
店だが以前と比べてメニューの品数が少なくなっていたのが少し不満でした。(いの)

Brasserie la Lorraine, 2 Place des Ternes 75008
Shan Dong, 88 Bd de I'Hopital 75013

バガテル公園 秋のバラ

日曜から8泊ほどパリから離れる。
その前日、秋のバラを観賞しようとブーローニュの森にあるバガテル公園へ行った。
パリに戻ってくるのは10月20日過ぎ。そのころにはバラはもう終わっているし、
天気も悪くなっているのでは、と快晴の朝、9時半の開園を目指してメトロとバスを
乗り継いで向かった。


前回来たときはレンタカーだったので、すぐ公園に入れたというイメージだったが、
バス停から入り口まではけっこう歩く。
門の前には観光バスもいなければ入場券を買う人の列もない。
休園かと思うほどの人の少なさである。
庭園内に入るとガチョウたちが出迎えてくれた。

     


森の中の朝の光が美しい。

庭園の木々は色づき始めている。もう散ってしまったのかと急いでバラ園に向かう。

秋のバラは春・夏のバラと比べて勢いはないが、一輪一輪は凛として、
形が整っているように思える。

週末なのに閑散とした広い庭を独り占め。





下の2枚は接写レンズを使用。
まだまだお見せしたい写真があるのですが、紙面の関係で本日はここまで。(とら)