ショパンコンクール その1


2015年、年初からショパン・コンクール(以下ショパコン)行きの予定を立て始めた。
とらにとってオリンピックより重大なイベントなショパコンは5年に一度開催される。

前回2010年に初めて行き、若きピアニスト達の(完成されたプロにはない)真剣さや情熱のほとばしりに感激し、次の2015年にはまた絶対行こうと思った。しかも入場料は、東京で一流のプロのリサイタルへ行くより圧倒的に安い(一人だけを聴くなら単価は千円以下)!
子供のころからピアノを習っていたとらの憧れのコンクールで、1960年にポリーニが優勝した時や、1980年に東洋人として初めてダン・タイ・ソンが優勝した時などをしっかり覚えている。

ショパンコンクールショパンの命日、10月17日の前後3週間に開催される国際的なピアノコンクール。
出場者には年齢制限があり16歳以上30歳まで。
世界を目指す若きピアニストの登竜門である。
演奏する課題曲はショパンの作品のみとなっており、エチュードソナタ、幻想曲、
ワルツ、ノクターン、協奏曲など。 本審査は、一次予選、二次予選、三次予選そして
ファイナルの4段階で構成されており、敗者復活なしの一発勝負、まさにピアノの
甲子園である。

今回の日程は10月2日〜20日までの19日間。全部聴くのはいかになんでも長すぎるので、二次予選から始めて三次予選を中心に聴き、ファイナルを1日だけ見るといった予定を立てた。これでもワルシャワ8泊になる。

昨年から「来年はショパンコンクールの年ですね。一緒に行きましょう」と話し合っていた音楽好きのご夫妻(夫はチェロ、妻はピアノのプレイヤー)と本年1月に最初の打ち合わせを行い、上記8泊の日程を確認、「甲子園でいえば準々決勝の前、ベスト8が出揃う前を中心にということか」などと盛り上がり、さっそくワルシャワにアパート
メントホテルを予約した。前回行ったときチケットはポーランド語のできる知人にお願いしてスムーズにとれたので全く心配していなかった。

ところが、4月になってチケットをお願いしたところ、親の介護等で超多忙のため今回は協力できないと断られてしまった。
あせって事務局に連絡すると、全てのチケットは売り切れ、前回は空席もちらほらあったはず、6か月前に売り切れはないでしょう、といろいろなコネを使って確認するも、とにかくホームページでの再売り出し告示を待つしかないという厳しい状況であることが分かった。

その後、返品されたチケットの再売り出しは9月1日と発表された。
ご夫妻はあきらめてもう他の予定を入れてしまったとのことだったので、自分たちの分だけとにかく頑張ることにした。
窓口販売は現地時間の10時開始とあったので、予約しているアパートメントホテルに電話しチケットを買ってほしいと頼み込んだ。オーナーはさっそく見に行ってくれたが、もう行列がすごい、自分も仕事があるので列に並ぶことはできないとのコールバックがあった。
その日の現地時間19時からインターネット予約開始、これは日本時間だと深夜2時である。クレジットカードを脇に置いて、準備万端でパソコンの前に1時半に座った。

決勝は売り切れだったが、三次予選の4回分の席をゲットすることができた。計8枚の切符代金は約2万3千円、もし行けない場合でも最悪これだけの損害である。

それから日程調整、パリのアパートやホテルの予約、航空券の手配と大忙しである。
ほかにも今後の生活を左右する重要な局面を迎えている案件を抱えており、次回2020年にしようかとの話も出たが、5年後は生きているかも分からない。
今できることは今やろうという、いのとらの人生の方針に従って決行、今ワルシャワにいます。(とら)