ドービル

朝8時、まだ暗い。
ホテルからルーアン駅まで地下鉄で一駅、レンタカー・ハーツのカウンターに行く。
今回はメジャーな会社なので駅裏などではなく、ちゃんと駅構内にあり全てスムースにいった。
名前を名乗っただけで手続き書類を出してきて、駐車場への行き方、帰りのガソリンスタンドの位置など手際良く教えてくれる。その上地図もサービスでくれた。
車にはナビも付いている。
携帯ナビ・トムトムをマッサージをお願いしているYさんから借りてきたが、なくても
良かったのか、と思ったが車搭載のナビは入力指示がフランス語しかないので
なんとなく不安。結局英語表示もあるトムトムも使いダブルチェックでスタート。

以前にも乗ったことのあるルノー・マグナム
3年前はバックへのシフトレバーの入れ方が分からず
苦戦したがもう大丈夫、走りは良い車だ。

イギリス海峡に面したノルマンディーの海岸沿いには映画や小説の舞台になった
ところが多い。
ドービルはクロード・ルルーシュの映画「男と女」のロケ地で、マルセイユの次に
大きいル・アーブル港も近い。時間があまればそちらにも行けるかと100km北北西のドービルに向かうことにした。

しかしハイウエイに入った頃、空は暗くなり雨が激しく降りだした。
いのはこんな天気なら美術館に行った方が良かったなどとブツブツ、しかしめげずに向かう。
不思議なことに30分ほどドライブすると雲が切れ始め、到着したころは快晴。

「男と女」は子供をドービルの寄宿舎に預けている男と女が知り合い、パリとドービルの間を車と汽車で行き来する物語である。
女(アヌーク・エメ)が降り立つドービル駅にまず行ってみる。
駅名は「トルビル・ドービル駅」

赤帽が旅情を誘う。レトロな感じ。

トゥック河の河口を挟んで、東がトルビル、西がドービル 駅はドービル側だった。

河の先、トルビル側の方がカフェが並び賑やかそうに見えるので橋を渡った。
市庁舎、カジノなど主な建物はこちら側にある。
ドービル側は山の手高級別荘地とすると、トルビルは下町か。

海に出る。


気分は”♪ダバダバダ ダバダバダ ♪♪♪”

この写真は映画のスチールより拝借。

鐘が鳴る。そろそろ12時。
魚市場の目の前、海鮮専門のブラッセリに入る。

この店が実に美味しかった。前の晩の2つ星より印象深かった。
全て前菜みたいなものだが、
まず生ガキと

炙った山羊のチーズをトッピングにしたサラダ。

そしてムール貝のワイン蒸し。
このムール貝が素晴らしくおいしかった。バケツ並の鍋いっぱいにでてくると、
我々には量が多すぎて、普通は残すものだが完食した。
次から次へと手が出る。塩が効きすぎてなく、地物だけあって新鮮。
いのは今まで食べたムール貝のなかで一番おいしいとコメント。

フライドポテトも熱々でご機嫌。

デザートはノルマンディ名物リンゴのタルトに
やはり特産のクリームをかける。

これで75ユーロ、まあドライブなのでワインをとらなかったせいもあるが、安い。昨夜の四分の一!


食後は海鮮市場で買物。


ウニは持ち帰りが難しそうなのでやめて、
小さな地物の舌平目を2枚とまだ動いているホタテ貝を6個買った。
念のためとクーラーバッグを持参していたのが役にたった。


パリに戻ってからの夕食
ホタテ貝とジロール茸のワイン蒸し

舌平目はポロ葱をお酒と醤油で薄味をつけて煮込んだもののなかで
さっと煮て和風に

とにかく海産物がおいしい。
地中海の魚より、北の魚の方がおいしいのではないかと思った。
3年前のパリ滞在の時ドービルのブラッセリと海鮮市場を知っていたら、寄宿舎に
預ける子供はいないが、この町に列車で通っていたかもしれない。(とら)

ジル

ルーアンは確かに右岸側にあった。
画面奥がセーヌの上流。ボートの側に旧市街がある。

その河岸に今宵7時半に予約したディナーの店、
ミシェラン2つ星の「ジル」がある。
メニュー検討の結果、いろいろお試し
7皿セットのコースにした。

食前酒キールを飲みながら待つこと暫し、一口サイズのアミューズが並ぶ。
その間に店のオーナーと思しきマダムがボン・ソワールと各テーブルを
挨拶に廻っていた。

まず一皿め、もうスイーツかよ、と見まがうが、
小エビに林檎の酸味を合わせたムース。

続いてフォアグラ、トースト添え。

三皿めはオマールエビとラビオリのコンソメ仕立て。

8時半を過ぎる頃、満席となった。

隣は男1、女3の若者中国人グループ。

こんな店に若い男女だけで来る
なんてちょっと違和感を覚える。
太子党か。しかもスマホで互いを
撮りあって喜んでいる。
ワインも頼まず水だけでだ。

我々はこの辺でシャブリから
シャトーヌフ・デュ・パップの
ルージュへ切り替える。

四皿めはスズキとセップ茸のソテー。

五皿めは鹿のステーキ、彩り野菜添え。今までに食したシカとは全く違う!
バンビかと思う柔らかさ、そしてソースがさっぱりしていて、かつ甘くない。

六皿めはチーズ。選ぶのに困る、多種多様、豊富な種類だ。

とらはノルマンディ特産を主に、いのは山羊をメインにした。

最後はデザート。ここからがフランス料理の真骨頂。

とても七皿めとは言えそうもない品数が並ぶ。

最後に出てきたのがミルフィーユ、これがデザートのメインのようだ。

ナイフを一刀入れただけでハラハラと崩れ落ちた。「千枚重なった葉」を実感する。

やっと何とか平らげ、消化を助けるカルバドスを飲む。

リンゴ酒の本場だけあって6〜8本の銘柄から選んだ。

だいぶ酔いもまわり判然としないが、
一つは軽め、一つは重めで度数も高い
ヘビー級だったことを覚えている。


これでお終い、と思ったらオマケの一皿が出てきたのにはさすがに驚いた。
ほとんど手が出ず、内容は不明です。

店を出たのは10時半近く。その間に雨が降ったらしく路面は光っていた。

古都の夜は早いのか人はほとんど歩いておらず、大聖堂はなぜか霞んでいた。

Gill
8 quai de la Bourse, 76000 Rouen
02-3571-1614
www.gill.fr

コースはこれだけ食べて一人前98ユーロ。
ワイン等飲み物を加え、支払合計298ユーロでした。(いの)

ルーアン

一日ぐらいはパリから離れて小旅行をしたいと思った。
北か南か……

前回のパリ滞在時、ノルマンディーとブルターニュ、大西洋の方には行かなかった。
ブルターニュは一泊旅行には遠いが、ノルマンディーは手ごろな距離だ。
ノルマンディーの中心地ルーアンにはだいぶ前に行ったことがあるが、全く観光しなかったという思い出がある。
そうだ、ルーアンを観光してそこを起点に海岸に行こうと、SNCF(仏国鉄)ショップに行って、パリ⇔ルーアンの切符を予約した。
ルーアンまでは約100キロ、パリからレンタカーという手もあるが、パリからの脱出は列車の方が楽で便利。ルーアン駅でレンタカーをして、そこから更に100キロほど
北のドービル、オンフルールのあたりへ行くことにした。
ノルマンディーといえば、ある人には第二次世界大戦のDデイ、ある人にはサラブレッドのふるさと、ある人には世界遺産モンサンミシェルだが、とらにとっては古都ルーアン

パリはサン・ラザール駅から出発。

電光掲示板に列車の乗車ホーム情報が表示されなかった
ので、もう少しで乗り遅れるところだった。


無事、Rouen Rive Droite(右岸)駅に到着。
これはセーヌ川の右岸にあるという意味だそうだ。

まず荷物を預けよう、ホテルは大聖堂からも近いはずとタクシーで旧市街に向かう。


ホテルには12時半頃着く。チェックイン時間より3時間ぐらい
早かったのに、部屋に入れてくれた。
ここもブッキングドットコムで予約。一泊60ユーロだがバスタブ付きと安かったので頼んだが、カフェの上の小さな2つ星ホテルで
エレベータはなく4階の部屋まで階段だった。

早速、地図をもらい、大聖堂へ。


モネの、時間によって移り変わる大聖堂を描いた連作で名高い。
ゴシック様式の大聖堂の代表的なものはシャルトルとランスといわれているが、ここルーアンの大聖堂も厳かな雰囲気だ。華やかなシャルトル、威厳あるランスと比べると質素だがより宗教性を感じる。

中世の面影の残る旧市街を歩く。独特の木組みの家はアルザス地方にも多いが、
ここでもドイツ風を感じる。


ルーアン観光のもう一つの目玉、ジャンヌ・ダルク終焉の地へ向かう。

ジャンヌは言わずと知れた「ラ・ピュセル」(乙女)と呼ばれたフランス女性中
一番の有名人。(マリー・アントワネットはフランス人ではありません)
1412年に生まれたジャンヌは12歳で神の声を聞き、16歳で当時王太子だった
シャルル7世に面会、1429年にオルレアンを解放、1431年イギリス占領下の
ルーアンで火刑に処せられた。19歳だった。

ジャンヌ・ダルク教会はジャンヌが処刑された旧市場広場に1979年に建てられた比較的新しい建物。
旧市場の面影もとどめており、教会と市場が同じ屋根の下にある。

ジャンヌ刑死の場所。
花に囲まれている。




教会が建てられる前からあったデル・サルト制作のジャンヌ像は両手を
縛られている。

翌日チェックアウト前、ホテルの窓から撮った朝の裁判所。
もう8時なのにまだほの暗く、灯がともっていた。(とら)

リュクサンプール公園

アパートからリュクサンプール公園は意外と近かった。
ダンフェル広場に出てからポルト・ロワイヤルへ向かうのは大周りになる。
広場からの放射状の道路をつなぐ小道を斜めショートカット。15分程だった。
公園の南端「マルコ・ポーロの庭」の入り口に立つ「天文の泉」

すぐ南に天文台があることからの由来だそうだ。

石像が散在し注意を引く。(大きくして見てください)

細長い「庭」を北上するとリュクサンプール宮殿前の広場に至る。


この公園の最大の特徴は多くの石像に囲まれていることだろう。
全部で100前後とか。




広場の東にはパンテオンがそびえる。
(なお北西にはエッフェル塔、南西にはモンパルナス・タワーも見える)

公園の西南、ちょっとした林へ向かう。

詩人ボードレール

ザッキン作
詳しくは2012年10月27日参照



この数日パリは暖かく、陽だまりを楽しめた。

秋は真っ盛り。(いの)

オペラ・ガルニエ

同時期にパリ滞在を予定していた京都在住の友人アイさんとパリに行くなら一回はオペラ座(ガルニエの方)に行こうと日本にいる時から決めていた。
オペラは今ではバスティーユでやることが多いので、ガルニエの演目は主にバレーである。
オペラ座ホームページで滞在中の演目をチェックするとあまり好みのものがない。
かろうじてクラッシクコンサートかと値段を調べてみると2階ボックス席最前列で
60ユーロである。オペラだと160ユーロぐらいするので、お得な値段設定である。
演奏曲もチェックせず、これを9月中にネットで予約、チケットを自宅で印刷して
持参した。

夕方7時半開演、冬時間なのでライトアップは終了。

正面の扉からカーペット敷きの大理石の石段を登る。いつ来てもゴージャスな
雰囲気、パリ・オペラ座に来たんだという高揚感が味わえる。

入り口から螺旋状の大階段に広がる巨大な空間。思わず見とれてしまう。

オペラ座の雰囲気を味わうためか早めに来てドリンクを頼んでいる人たちは、


グラス片手に天井を見上げている。

席に着こうとすると扉を開けてくれる案内係がもうちょっとゆっくり見学しては
と薦めてくれた。
モザイク、彫刻、金箔であらゆるところが飾られている。

いわゆる天井桟敷は5階となるが

我々は2階のボックス最前列

ボックス席は3列あり後部席だとかなり見にくい。


マルク・シャガールの天井画と大シャンデリア。

これを目当てに日中の館内見学ツアーに来る人もあるオペラ座の超目玉。

ところで今夜は、フィリップ・ジョーダン指揮のコンサートというだけで予約。

なにしろ観光目的なので演目の詳細はパンフをもらうまで
知らなかった。
舞台配置を見ると、どうやら四重奏らしいと気付く。


第一部はアーノルド・シェーンベルグの四重奏曲に合わせたシュテファン・ツバイクの詩がソプラノ歌手により朗々と歌われる、というより朗読に近い。
第二部は六重奏+ピアノ+ソプラノ独唱でオットー・ハルトレーベン作詞の「月枕」という不思議な連作詩が延々と続く。
詳しくないので良く分からないが珍しいジャンル、演目だと思うが、満席だった。
この演奏の感想を述べるのはむずかしい。
例えてみれば琵琶法師の語りか能に近い印象だった。音楽をバックにした語り。
ドイツ語の語りは鬼気迫る迫力で、何故か冬の恐山を連想させた。
あるいは大学時代ラボで聞いた赤ずきんちゃんのメルヘンを恐くした感じ。

ステージのバックは緞帳、劇的な雰囲気を出している。

日中10ユーロの見学ツアーもあるが、観光客しか周りにいない館内をガイドに
先導されてうろつくより、比較的安いコンサート観劇の方が雰囲気を味わえ、
オペラ座見学観光としては良い方法なのではないか。

外は珍しく晴れ、満月に近い月が輝いていた。(とら)

モンマルトル墓地

パリほど墓地が観光地化している都市はないと思う。
3大墓地と呼ばれる19世紀初頭にできたペール・ラシューズ、モンパルナス、
モンマルトルに多くの有名人の墓がまとまってあるからかもしれない。

モンマルトル墓地は3年前のパリ滞在で行き残したところ。

他の二つの墓地に比べて少し小さい。
それでも11ヘクタールある。

今日の墓碑探索の主目標はアレクサンダー・デュマ・フィス(大デュマの息子)と、
彼の愛人で代表作「椿姫」のモデルでもあるマリー・デュプレシの墓。

わりと簡単に見つかったデュマの墓は立派だが、

死体を見ているようで不気味だ。

墓の天井に記された墓碑は

本人が天井を見ながらつぶやいている言葉のように見える。
何を語っているのだろう?


威張っているのか、悔やんでいるのか、興味を覚えるが
仏文読解できないので誰か教えて。

椿姫マリー(23歳で没)の墓は、彼女の本名が彫られていたため発見に
手間取った。

墓の全面に肖像画が貼られていたので見つけることができた。

ふたりの墓は300メートルぐらい離れたところにある。




小説では、デュマ自身がモデルの主人公が椿姫(マルグリット)の死に間に合わず、どうしても死んだことが信じられなくて、一目会いたいと永久墓地に埋葬し直すという口実の下、彼女の遺体を掘り起こす。変わり果てた椿姫の姿にアルマンは発狂寸前となり、脳膜炎で倒れてしまう。やっと回復した彼が語り始める物語がこの小説という筋立て。
事実は、マリーの遺体をこのモンパルナス墓地に埋めなおしたのはデュマではないし、もちろん遺体も掘り起こしてはいない。
しかしマリーの死の約50年後、死期を迎えたデュマはファミリーの墓でなく、
モンパルナス墓地に埋葬して欲しいと遺言した。
アカデミー・フランセーズ入りをして、功成り名とげた晩年だったが、処女作である
「椿姫」には特別な愛着があったのだろう。
その最後を自分のフィクションに近い形にしたかったというのは考え過ぎだろうか? 

ハイネの墓もここにある。
ドイツでの政治・社会活動により目をつけられていた彼はデュッセルドルフからパリへの移住を余儀なくされる。
ショパン、リストなどと交流した華やかな時代もあったが、晩年は健康に恵まれず、
半身不随となり、59歳でなくなった。

墓碑に刻まれている詩。

客死を予感していたのでは、と匂わせる詩だ。
誰か原典をご存知ですか?

スタンダールの墓 

墓碑には本名が書かれているので、きわめて探しにくい。スタンダールペンネームだとは初めて知った。
墓碑銘は「ミラノ人アッリゴ・ベイレ 書いた 愛した 生きた」
彼も59歳で亡くなっている。しかし死因はパリ街頭での脳出血、ハイネより14歳
年上だが同時代人といえるだろう。

他の著名人としては画家のギュスタヴ・モロー、ドガゴンクール賞に名を残す
ゴンクール兄弟、バレーのニジンスキー、作曲家ベルリオーズ、映画監督
トリュフォー、日本人画家でパリで客死した荻須高徳の墓もあるそうだが、
この日は冬時間に変わったばかりで昨日の13時が今の12時。
時計は一時間ずれたが腹時計は変わらず、お腹が空いたので墓巡りは中止し
クリシー広場へ降りて行った。(とら)

パリのアパート

短期滞在アパート入居時の最大のポイントはチェックインの段取りだ。
ホテルと違って借りる部屋は個人所有で、そのオーナーといつ、どこで、何時に
待ち合わせるか、を事前にメールで決めておく必要がある。
ホテルのようなフロントがあるわけではない。待ち合わせた初対面のオーナーから
鍵を受け取り、部屋や設備の説明を受けるのだ。
フランス国内用携帯電話を借りていかなかった我々は、前もって決めた待ち合わせ時間に遅れたら連絡するすべもない。
ワルシャワからの飛行機は幸い定刻通りパリに到着、空港からRERでダンフェル駅へ、今度のアパートまでは徒歩約8分。大家と玄関で夕方の6時45分の待ち合わせ,時間ぴったりに着いた。アパートはモンパルナス墓地のちょうど真向かいだ。

玄関から見た景色。モンパルナスタワーが墓地の上に見える。

建物は7階建て。画家の聖地モンパルナスが近いせいか、正面はアトリエ造りだ。


内庭を通り部屋は3階(日本の4階)




日本人所有ではないので、設備に対する感覚が違う。
階段しかなかったら重い荷物を階上まで自力で運び上げなければならない。
バスありといってもそれはシャワーということもある。エレベータとバスタブの有無は事前にメールでしつこく確認しておいた。

エレベーターはあるにはあったがメチャ狭い。
荷物は二度に分けて搬送。大人二人がやっとの空間だ。
フランス人二人なら密着せずに乗ることはできない。
知らない同士だったらすごく居心地が悪いだろうと想像する。

バスタブは狭かったが想定の範囲。
フランス人が肩までつかるには膝から先が出てしまう。

ベッドもやや小ぶり、フランス人夫婦ならどちらか落ちそう。





想定外だったのは電子レンジ。電気釜はないことを前提に、最初からコメは焚かず
真空パックのものを電子レンジで調理しようと思っていたが、電子レンジがない。
更に意外だったのは、テレビがない。電話もない。外界とは遮断されてしまった。

トイレは、日本のビジネスホテルも負けるほどの省スペース。

お尻をおろした後に足の着地場所を探す
必要がある。



パリの古い中級アパートの典型のようで、床はきしむ、上の音は聞こえる、換気扇はないなど、問題は多々あるが、一番困ったのはゴチャゴチャあるオーナー所有の
装飾品。どうやら妻がイギリス風のインテリアに凝っているらしく、我々の荷物や衣服を置くすき間もなく本や小物がいっぱい。
入居時に設備品の紛失・損傷にそなえてデポジット500ユーロを取られたが、
このような骨董品を心配したものと思われる。
骨董品を壊さないように整理してなるべく目につかないところに片づける。
入居時

整理後 花を飾ったりしてます。

せっかくの可愛いカップだがごみ処理のほうが優先。
入居時

食器を洗い直したりした整理後 違いは?


これで3週間のパリ生活準備OK。(とら)