谷間の百合

谷間の百合を再読した。中学3年の時に読んで以来だが、まだ恋を知りそめぬ頃と、ほとんど卒業の現在では感想は違って当然であろう。
結論、バルザックはすごいと思った。

母の愛にめぐまれない20歳の青年がトゥールの舞踏会で会った美しい夫人に一目ぼれする。夫人に再会した青年は夫人の館にいりびたりとなる。
夫人=モロソーフ伯爵夫人=谷間の百合は、年の離れた気難しい夫と病弱な2人の子供がいるが、青年の想いを最愛の伯母が彼女を呼んでいた名「アンリエット」と呼んでほしいという形で受け入れる。
青年は革命後復位したルイ18世につかえ、パリで社交生活を送るようになるが、谷間の百合との文通はかかさない。
しかし、この青年の純情な中世の騎士のような恋は社交界の評判となり、
それに刺激された美貌のイギリス人ダッドレイ夫人が猛烈なアプローチをかけ、青年はそれを受け入れる。
その事実を母に知らされたモロソーフ夫人は嫉妬に苦しみ、ついには病気で死んでしまう。彼女の死の床で青年はいかに彼女が自分を愛していたかを伝えられる。
パリに戻った青年をダッドレイ夫人は拒絶する。

という話を、40代になった青年がその時の恋人ナタリイ夫人に綴った告白という形で書かれた小説です。
最初読んだとき、モロソーフ夫人はきれいごとばかりで、情熱的で自分に正直なダッドレイ夫人の方がずっといいと思ったものだが、この2人のほかに第三の女がいたことには注目しなかった。この小説は恋愛小説というより3人の女性のプライドの物語だと今は思う。

告白を受けたナタリイ夫人は、とても彼の過去の恋人たちには勝てない、ただこのような告白は2度としてはいけないという忠告をしてあげられるのが私の最後の愛情よ、
みたいな言葉で返信を締めくくる。それがこの小説のラストページである。

きれいごとばかりと思っていたモロソーフ夫人に今は一番共感を覚える。
ただ清純で美しいだけでなくこの夫人は賢く、やさしい人である。
領地の采配をする一方、夫の伯爵につかえ、農園の改良を思いつき、しかもそれがうまくいくと夫に手柄を譲る。谷間の百合というより大和なでしこのような人である。
青年に宮廷で成功するノーハウーを丁寧にレクチャーしたりする。
しかし一番賢いことは情熱に身を任せなかったことである。

この時代より100年前の日本の心中事件を題材とした安西篤子の「愛の灯篭」という小説がある。歌舞伎でも取り上げられている「槍の権三」の話である。
やはり母の愛情にめぐまれない家庭に育った、夫と三人の子供がいる女性が若い男に言い寄られ、つい情熱に身を任せ、結局駆け落ち、女敵討ちという形で夫に切られて死ぬ。
この女性は告白されたとききっぱりと拒絶するが、抑圧された愛情は心のなかでマグマ化しついに爆発してしまうのである。
モロソーフ夫人と共通することは若い男を娘の婿にと思うことである。
これはおもしろい。
洋の東西を問わず自分の代わりに娘に恋を成就してもらいたいと思うのか。
しかし実現したらそこにはどろどろの嫉妬が生まれるのではないか?

この日本女性と違ってモロソーフ夫人は周りの人たち、特に子供たちを不幸にする恋愛に身を投じるより、肉欲と嫉妬に苦しみながらも勇気を持って現状を耐え忍ぶことを選び、家族と恋人に看取られて天国に旅立つのである。
ダッドレイ夫人のようにふるまって青年の恋を受け入れるのは私のキャラではない、と思うのがモロソーフ夫人のプライドである。

一方ダッドレイ夫人は青年をものにすることよってモロソーフ夫人に勝ったと思うが、モロソーフ夫人の死によってもう永遠にこの人には勝てないと思った瞬間、自分から青年を拒絶するというところに彼女のプライドがある。

第三の恋人であるナタリイ夫人は、あなたこれから先もモテないんなら、打ち明け話は駄目よ、と釘をさすことによって、青年のある意味最後の恋人として別れようとする。

バルザックの登場人物は実に奥行きのあるキャラクターで、単純に要約することはできない、大人の小説である。
この小説の美しい自然描写を追体験したくて「谷間」の情景を綴ったトゥールの西南に位置するサッシュ村を訪れた。(とら)

青年フェリックスが滞在したフラペルの城館のモデル、サッシュの館。
ここでバルザックは「谷間の百合」を書き上げた。
今はバルザック記念館となっている。

モロソーフ夫人の館クロシュグウルドのある
ポン・ド・リュアンへの標識。

いの曰く、村のはずれのお地蔵さんみたいな
キリスト像

谷間を流れるアンドル河は
ロワール河へ流れ込む。

フェリックスが
モロソーフ夫人に捧げた花束の野の花にはまだ季節が早かったが、菜の花はもう満開だった。




Sache Tours Loire